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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[204]エレグゼン、戦場から戻る

第8章 風雲、急を告げる
第6節 追撃

[204] ■3話 エレグゼン、戦場から戻る
 その日、ナオトは、研いでもらおうとおのれが鍛えた三本目の剣を携えて山の端まで来ていた。
 ナオトの二本目と、イシク親方たちとともに作った何本かの剣はすでに左賢王に渡っている。それを知るナオトは、
「この三本目は、仕上がったらメナヒムに持ってもらうつもりです」
 と、イシク親方に話した。いまもまだ北の疎林に通い、一人で大鎚を振るっていると聞いて、イシクは驚き、あきれた。

 バハルーシュに預けて後日を約し、そろそろ去ろうかというところにエレグゼンがやって来た。この間のように肉の塊を携えているが、あれでは少なすぎると思ったか、叩き布で巻いた大きな包みを斑馬ぶちの後ろに結わえて載せている。馬から下ろして肩に載せて来ると、「戦勝の祝いです」と言って寄り合い所の床にドスンと置いた。
 もともと興奮しやすい性分たちに戦場での出来事が油を注いだものか、エレグゼンは、
「こいつの作った剣は、本当にすごい」
 と、居合わせた工人たくみ誰彼だれかれとなくつかまえては匈奴言葉とソグド語とで告げ回っていた。ナオトもそれを聞いた。
 ――戦さのないヒダカの里で育った吾れは、あの鋼や剣がその後、生身なまみの人を相手にどう使われるのか、考えが及ばなかった……。
 寄り合い所にニンシャの工人たちが集まって来て、話の輪に加わった。その中には、いまのいままで奥の鉄囲炉裏で剣を打っていた者もいた。何本かを研ぎ終えたバハルーシュたち三人もいた。
「敵の首が一振りで飛んだ。周りの者たちは、敵も味方も、驚いて馬の足をめた。吾れは英雄になった。ナオトの剣のおかげだ」
 自分が試しに作った剣は戦さで使われていた。しかもそれは、いままでエレグゼンが手にしたことのあるどの剣よりも軽くてしなる強い剣だったという。

 そのような華々しい戦さの話をエレグゼンは語ったが、オンギン川で多くの匈奴の仲間が亡くなったとザヤから聞かされていた。ナオトが初めて馬に乗った日に、近くで黙って見ていたジャムサランもそうだった。鉄窯作りを手伝ってくれた匈奴兵のうちにも一人、戦さで命を落とした者がいた。
 ナオトは、生きるとはどういうことかと考えずにはいられなかった。

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