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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[146]タンヌオラの山越え

第6章 北の鉄窯を巡る旅
第7節 タンヌオラからオヴス湖へ

[146] ■1話 遠征23日目 タンヌオラの山越え
 次の朝。
 水の流れる音にみなが気持ちよく目覚めると、それを待っていたかのようにメナヒムが、単騎、オーログマレン川の大きな中州に向けて歩き出した。みながあわててそれに続いた。そこしかないと教えられた渡河点の水は、思いのほか、深い。どうにか渡り終え、馬首を真西に向けて川沿いにゆっくりと進んだ。バトゥが並び掛ける。
「このままオヴスノール西岸に向かう。途中、テュルク族からの邪魔が入らぬか、とくに、川向こうの動きに気を付けていてくれ」
 木片にソグド文字で刻まれた左賢王からの指示は、『トゥバの鉄窯を見た後に、タンヌオラ山脈の北の草原を西に行き、オブス湖の西岸を通って右賢王の支配地を回り、この牧地まで戻れ』となっていた。
 北の湖バイガルでこれを見たときメナヒムは、少しの間、言いようのない気持ちになった。
 ――タンヌオラ。忘れようにも忘れられぬ山の名だ。左賢王は知っていてそこへ行けと命じたのだろうか。
 父母の墓はタンヌオラを南にりて行ったオヴス湖の手前の丘にある。同じ丘に弟夫婦も眠っている。あの烏孫ウソンとの戦いの後、息のない弟の首筋から血をぬぐい落とし、石灰を浸した布を巻いた遺骸いがいをジュンガル盆地の果てから二十日掛けてどうにか運んで、父母の墓石の隣りに埋めた……。
 いま、メナヒムたち五騎は、その丘に向かっていた。

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