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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[034]会所に集う人々

第2章 フヨの入り江のソグド商人
第4節 ハンカ湖周辺にいた人々
 
[034] ■2話 会所に集う人々
 会所があるフヨの地には、もとは遊牧民だったキョウ族の者が少なからず入り込んでいて、長い年月をともに過ごすうちにフヨ人に同化していた。
 一方、匈奴ヒョンヌ鮮卑センピといった遊牧民と羌とはいわば兄弟のような関係だった。とくに匈奴と羌族は、話す言語ことばは異なっているのだが似通った語彙が多く含まれていて、互いに意を通じることができた。
 その羌族に、胡人こじん――紀元前六世紀に解放されて、アッシリアから東へとのがれてきたアブラムの一族の末裔――が少なからず混じっている。
 その人々のうちにはソグド語を話し、また、異なる言語であるアブラムの一族の言葉をも解する者がいたと、この物語では仮構している。胡人たちは、ソグド人が使うアラム文字を使って自らの言葉と信仰を記録していた。
 漢人が胡人というとき、それは漢の北および西に分布する匈奴やペルシャ系、テュルク・モンゴル系、それにこの物語でとくに胡人と呼ぶヘブライの人々を合わせたものであって、相互に区別することなくえびす、すなわち漢人以外の人と認識していたとされる。
 多様な部族に属し、血筋も顔立ちも大きく異なる人々が、商いにかかわる地名、日付、数、交易の条件などが出てくる多少込み入った話を、どの品物について話しているのかさえはっきりさせれば、筆談と身振りとをまじえて通じさせることができた。
 これは会所での取引にとても役立ち、ペルシャなどに散らばるオアシスの国々からソグド商人が集まりフヨの会所が盛んになった理由の一つは、紛れもなく、この共通の言葉と文字だった。
 商人の世界では、口約束は重たい。しかし書き記したものには、ときとして、それを越える重みがあった。

 会所からフヨの入り江にかけての一帯は、周囲から狼加ルーカと呼ばれるフヨ王の血族が私兵を置いて護っている。
 衛兵が立って番をする会所の出入り口近くにはいろいろな土地の食い物やアルヒを出す簡易な店があり、大きな取引の前後には、そこここで群れ、円陣を作って、酒宴に盛り上がっていた。少し離れたところには女宿があり、やはりいろいろな土地から集まってきた女たちのあぶらが匂いたち、それぞれに艶を競っている。

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