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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[007]舟長カケル

第1章 西の海を渡る 
第3節 カケル

[007] ■1話 舟長、カケル
 ナオトの義兄あにのカケルは、西の海を越えた大陸むこうのおかとヒダカとの間の交易を生業なりわいとしている。頼まれてただ運ぶだけでなく、自分の裁量で仕入れたものを海の向こうで売りさばくということもする。 
 しかしあらかたは、大陸で頼まれたものをヒダカで集め、海を越えて運んで引き渡し、帰りは逆に、ヒダカで頼まれたものを大陸で探し求め、十三湊とさみなとまで運んで来て引き渡す。そうした場合にカケルの仕事は、売り先が決まっているものを探し、利が乗るように持っている品と交換して運ぶ、ということになる。
 
 ヒダカでは舟を操る者をかじとりとかふなおさと呼び、また、持ち舟で荷物のやり取りをする者をふなぬしと呼ぶ。カケルは、いまはその両方を兼ねているのだが、みなは舟長という呼び名を好んで使っている。
 舟長カケルには、西の海のどちら側にも信頼する仲間がいる。カケルの人に優れた点は数多くあるが、なかでも、仲間との絆の深さは格別だった。大陸から戻る日取りはおおよそ取り交わしてあり、いざ陸揚げというときにはそれらの仲間が声を掛け合って集まってきて、一緒に汗を流す。
 潮と風の具合によっては舟が着く湊は南にずれてしまうので、沿海部の各地にいる気心の知れた仲間が、お互いに便宜を図って、そうした遅れをできるだけ取り戻させようと心を砕いてくれる。
 舟子ふなこを休ませ、代わりを探し、舟に据え置く水を替え、荷をほどいたり積み直したりを進んで手伝ってくれる。これで一日二日はすぐに変わる。同じことをカケルは、自分の本拠の十三湊で仲間を挙げてやる。
 海を行き来して得る利は、荷主の取り分を除いた残りの半分を舟子に等しく分ける。そのような舟主は他にはいない。
 そうして浜人の心を掴み、また、それでこそやり遂げられるという大事な仕事はカケルに集まるようになった。

 大陸にはヒダカの者が大勢渡って暮らしている。カケルと一緒に象潟きさがたで育ったハヤテもその一人で、言葉に達者という特長を生かして海の向こうのフヨ国の湊でカケルの交易を取り仕切っている。
 大陸で使ういくつもの言葉をどうにか使いこなすカケルたちは、フヨとその周辺の地に集まっている商人と直接取引することも多い。そうした商人はフヨ人に限らない。近頃では、モンゴル高原やはるか遠くペルシャからも商人が来る。
 カケルは、大陸に向けては俵物たわらものという海産物の乾物や、コメ、布などを運ぶ。大陸からは鉄の小板を運んで来ることが多い。

 カケルの舟は、クリの木をり抜いて作った丸木舟を二艘並べたもので、真ん中に小屋がしつらえてある。なんでもこの舟の作りは、大昔、遠い南の島からはるばる渡ってきた人々が伝え、それが北ヒダカを中心に広がったのだという。
 ヒダカではそれをカルノとか、少し大きければカタマランと呼んでいるが、その南から来た人々がいまどうなったのか、詳しいことは誰も知らない。

 いまは海を越えて荷を運ぶ仕事をしているカケルだが、物心ものごころが付いたかどうかという頃には出羽の象潟湖きさがたこで舟作りを手伝っていた。
 十六歳の春に、いい舟を作るためにと舟に乗ることを覚えたのだが、次第にそちらが主になった。そしていまから十年ほど前に、より大きな利を求めて仲間と一緒に十三湊に移って来た。もし、あのまま象潟で舟を作り続けていたらカエデと一緒になることはなかっただろう。

 一度苦労して身に付けた技は忘れることがない。
 六年前、カケルたちがフヨの入り江とよぶ大陸側の湊に荷を運んだとき、使っているカタマラン舟をそのまま譲ってはもらえまいかと、土地の商人から持ち掛けられた。
 風次第ということはあるが、カケルが作る舟は、よい梶取と舟子が操れば象潟から十三湊まで三日で行く。見る目があれば、舟の作りの良さはすぐにわかる。
 それにしても、そのフヨの商人が口にした銀の小板の枚数は破格だった。
 声を掛けられたその舟はまだ新造で、西の海を初めて渡ったところだった。事情があってカケルの持ち舟ではなく、舟主は別にいた。まさかそのまま引き渡すというわけにもいかないので、そのときは、次に来たときにこの入り江で作ろうと約束して別れた。

 年が明けて水がぬくんできた頃に大陸に戻ると、その商人は、是非にもその場で作って引き渡してくれるよう頼むと、今度は応じるしかないというほど熱心にカケルに迫った。よい舟を持ちたいという、よほどの事情があったのだろう。
 そういうこともあろうかと、周到なカケルはその場で舟が作れるように舟子仲間の顔ぶれを選んで来ていた。野代のしろでいまの舟を作ったときの仲間が何人か混じっており、気心が知れていて働きやすい。段取りも、みな承知している。
 木の棒やタケ麻布あさぬのヒノキの板や革紐かわひも麻綱あさづななどの素材はフヨの入り江でそろう。小舟を操って湾の対岸の息慎ソクシンの入り江まで行けば、値は張るが、鉄製のいい道具も揃う。つまり、舟は作れる。
 舟の渡し値を決めてみなに話すと、こぞって「やってみたい」と言う。帰りの荷は、幸い、いつまでと決めてきてはいない。夏前に揃えて積み、こちらで求めた道具類を土産に帰ればいいだろう。
「よーっし、やろう」
 手付けの銀を半分もらい、買い主が入り江の北の河口近くに設けてくれた場所ですぐに取り掛かった。出はじめの虫に悩まされたが、食事も寝泊りも近くでしたので、仕事は早かった。
 途中、ヒダカからの舟が入り江に着いたというので若い舟子を走らせて、舟主に言付けた。
「カケルの舟も舟子もみな無事だ。別の舟をこちらで作ってから、一月ひとつき遅れで戻る」
 買い主の口添えを得て二本揃えた長さが十ひろ余りの形のいいマツの木はほどよく乾いていた。匂いが違うのでわかる。「これは幸先がいい」とみなで話した。

 買い主は、また、カケルの求めに応じて息慎の入り江まで一緒に行き、種々の道具を揃えてくれた。手に入れたものは、使い途は同じなのに、石ではなくテツでできていた。こうした道具をいろいろ試してみたところ、作業が実に早く進むとわかった。
 たとえば、曲がった木の柄と刃を組み合わせたチョウナは、木を削《けず》り、またるためのくわのような形をした道具だが、ヒダカで使うものは木に当てるの部分を硬い薄緑の石を磨いて作る。その石の刃を鉄に換えたチョウナを大小揃えて、丸太を刳るのに使ってみた。
 クリマツ、舟材に違いはあるが、鉄製のチョウナの働きは驚くほどだった。おかげで、ヒダカならよくやるような、木を火であぶって炭にしてから刳るとか、少し刳り抜いたところに水をめて焼けた丸石を入れ、沸騰させて木を柔らかくするとかいったことは一切やらずに済んだ。
 二本のマツの樹皮を剥いで外側を削り出し、年輪が詰まった北向きの方が底にくるようにと上下を決める。炭で印を付けてから、底の厚みを指三本分残した刳り舟にまで仕立てるのに、少なくみても四日は縮まった。
 その分、帆の材料をあれこれ吟味して縫い合わせたり、帆柱とけたにする太竹や黒竹、小屋と床に使う材料を探したりするのに幾日か余分に費やすことができた。

 人手があったので、一月ひとつきと経たずに舟の形になった。できた双胴の舟に帆を掛け、石を載せて試しに走らせてみると、カケルの舟に勝るとも劣らない。
「これでいい」
 カケルがそう言い、買い手も満足そうに頷いて、残りの銀と引き換えに先方に引き渡した。
 訊くと、このカタマランは北に曳いていき、大きな湖や川に浮かべて重たい鉄の板を運ぶのに使うという。並みの作りでは荷が重すぎてそれが思うようにできない。
 舟を引き渡すとき、カケルには、いろいろと新しい工夫を載せて作った舟のその後の使われ方よりも、鉄を運ぶという話の方がむしろ気になった。

 言付けた通りに一月遅れで十三湊に戻ったカケルは、もう一度、世話になった舟主のために大風の合間を見計らって大陸に往復し、その年の秋、善知鳥うとうの里から来たカエデと暮らしはじめた。

 今日、カエデがやって来るというはれ・・の日。
 朝からそわそわと心待ちにしていたカケルは、坂の上まで出て、東からの上り道を見張っていた舟子が駆け戻り、息を切らしながら「来たぞーっ」と大きな声で呼ばわると、急ぎ、カエデ母子を善知鳥からの山道まで迎えに出た。
 そのとき、秋に染まった麓の木々の中で初めて目にしたカエデは、象潟の父の言付ことづけにあった通りに、それまで出会ったことのないような器量きりょうよしだった。

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