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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[061]遊牧民の暮らし

第3章 羌族のドルジ
第3節 龍の岩山
 
[061] ■3話 遊牧民の暮らし
「こういう草原で、遊牧の民はどうやって暮らしているのだ?」
「……」
 少し考えてから、ドルジが語り出した。
「そこの原を牧地にする者たちについては知らない。しかし、ヒンガンの麓ならば遊牧民は助け合わなければ生きていけない」
「助け合う……?」
「たとえば、先刻さっき話したオオカミの穴がそうだ。巣穴を見つけたら、どこにあるかをみなに教える。そうやって助け合う。泉や塩辛しおからくないうみ在り処ありかを教えるのもそうだ」
「……。水場を教えるのはわかるが、オオカミの穴はどうするのだ?」
「巣穴を見つけたときには、印を付けておいて強い者に知らせる。その者が穴の中を覗き、周りの者にふんを集めさせる。烽火のろしに使うためだ。もし中にオオカミがいたら、親を追い払ってから一匹を残して子を殺す。そうしないと、増えすぎて飢えたオオカミの群れにいつか吾れらがやられる。
 オオカミはよほどのことがなければ人を襲わない。しかし、飢えたときには違う。そのとき、オオカミがまず狙うのは赤子あかごだ。オオカミの子はかわいい。しかし、吾らはやられた赤子を何人も見てきているから、決して許さない」
「……」

「遊牧民の暮らしは、春から秋まで、厳しい冬に備えているようなものだ。初雪が降る前には、冬を越すための食糧を蓄え終わる。夏の間に太ったヒツジを潰して、その肉を石か煉瓦れんがで作ったむろに下げておく」
「ムロか?」
「ああ。ヨーゼフのコメ蔵のようなものだが、あれとは違って風が通るので冬になれば中は冷える。室ではなく岩穴を使うこともある。そこに下げた肉は、冬には寒さのために凍る。これを鍋汁に入れるなどして戻して口にする。
 内臓も血も無駄にしない。め物をしたはらわたを、塩をするなどして同じように室に下げておく。外側にカビの生えることがあるが、手や皮の切れ端でしごいて落とせばどうということはない。
 冬の間に口にする肉は、五人家族ならばヒツジにして十頭を軽く超える。弱って脚の形のよくないものを選んで潰し、春までに食う。下げたままの残りの肉は、春になると乾いた風が吹いてひとりでに干し肉になる」
「……。潰すとは、殺すということか」
「ああ、そうだ。遊牧の民は放牧しているヒツジや馬の乳に手を加えて食い物をできる限り自ら得ようとする。ヒツジに助けられて生きているのだ。
 しかし、緑の草原がたけを伸ばす夏の間はそれでよくても、草原くさはらが薄っすらと雪を被る冬にはそうはいかない。室の中の凍らせた肉だけでは過ごせないので、家で作った叩き布や塩袋などと交換するなどしてなんとか蓄えるヒエやムギに頼るしかない。

 フヨの草原の夏は短い。強く冷たい風がひと吹きすると山の色が変わり、季節は一気に夏から秋へと移ってしまう。その秋もやはり短い。夏が終わって一月ひとつきもすれば初雪が舞う」
「いやあ、厳しいな……」
「厳しい。身を削るようなものだ。だから、遊牧民は助け合って暮らしている。草原では、いくつかの家族が羌族も匈奴もなく緩やかにまとまって暮らす。夏前にはヒツジの毛刈りをする。何年もの間に長く伸びた巻き毛を刈って叩き布や糸にして使うのだ。その糸を泥や草木で染めることもある」
「糸を染めるのか……」
「吾れの家ではヒツジは飼っていなかったが、毛刈りのときや叩き布を作るときには出掛けて行って手伝った。すぐ近くを冬の牧地にしていた匈奴の一家が夏の終わりになると戻ってきて、よく声を掛けてくれた。
 ヒツジの毛はあぶらやらふんやらでよごれている。それに臭い。でも、本当に楽しかった。その日の仕事が終わると、子供たちには泡立てた生の凝乳ジューヘ――生クリーム――がふるまわれる。匈奴の食い物だ。指ですくって舐める。小さい頃、吾れはそれが楽しみだった……」
 ナオトが、それでわかったというふうに一人頷いた。
 ――そうか。それでドルジは匈奴の言葉を話すのか……。
「馬もそうだが、ヒツジの爪先は雪に弱い。人と同じだ。足がやられると死んでしまうので、その匈奴の一家はよくよく気を付けていた。夏に作った叩き布を小屋のさくに並べて掛けて風を防ぐ。狭く囲った中に何十頭ものヒツジを押し込んで暖かくするのだ。爪先を叩き布の切れ端で包んでいるところも見たことがある。

 吾れの家では、冬の食糧にするヒツジがいないので、仔馬と交換にムギを手に入れていた。よく狩りもした。少し山に入ればシカがいた。冬前ならウサギやイノシシ、キジもいた。なぜか祖父だけは、ウサギもイノシシも口にしなかったが……」
「吾れはイノシシは食ったことがないが、お前の爺さんとは違う理由だろうな……。そんな気がする」
「……? 肉が欲しいと言われると、朝早くに出掛けて行って、仕留めた獲物を持ち帰った。母がいつも喜んでくれた。クルトが吾れを騎馬隊に誘ってくれたのは、ヒンガンの山中で狩りをすると知っていたからだ。
 そうしてった獲物えものの肉を、ヒツジの乳や肉と交換することもあった。『ヒンガンは恵みの山だ』と、祖父がよく言っていた。夏の間は、吾れたちの食卓は豊かだった。だが、雪が降れば違う。深く積もるほど降る年はとくにひどかった。いつ食い物がなくなるかと、母はいつも気に掛けていた」
「草原で生きていくというのは大変だな……」
「そうだな……。吾れたちは木を何本も倒して小川の近くに家を建て、そこで暮らしていた。だが、鮮卑や匈奴は違う。春になると草の伸びた牧野に移って行き、秋になると戻ってくる。家も、移動しやすいようにできている。いま、吾れの姉はそうやって暮らしている」
「そうか。草原を移りながら暮らすのか、草が伸びるのに合わせて……」
「ヒツジの群れを追う遊牧の民は、水場が近い丘の周りに住む。男と女と多くの子供が混じって、数家族がひとまとまりになって移ってくる。姉の一家は夏が終われば家の近くにやって来ると母がよく口にしていた。楽しみにしていたのだろう。
 ナオト、あそこに小高い森が見えるだろう? あの先には小川が流れている。もし、この辺りで遊牧民が牧地を探すとすれば、まずはあそこだろうな」
「なるほどな……」

「牧地の朝は早い。夜が明けるとすぐに子供たちの声がして、馬を囲っている牧場からその日に乗る馬を引いてくる。朝、ヒツジの乳を絞るのは子等の仕事だ。吾れがヒンガンの山近くにいたときは、春にいなくなるまでその繰り返しだった。そういったことが苦手なので、吾れの家にヤギはいたが、ヒツジは飼っていなかった。
 ヒツジや馬の乳が手に入ったときには、母がシャルトスやアウールルを作ったが、それでは足りないときや、もっと手の込んだものが欲しいときには生まれたばかりのロバの子と交換することもあった。
 それで、吾れの姉は苦労したという。姉が一緒になった相手が匈奴だったからだ。匈奴の女は何でもできる。姉は一々いちいち義母ははから教わったそうだ。それを吾れの母から伝え聞いたクルトは、なぜか怒っていた。『吾れならそんなことはやらせない』と言ってな……」
「そうか……。それにしても、一冬の食糧を貯えるのは大仕事だな。ヒンガンの麓に海はないだろうからな」
「海ではそういう苦労はないのか?」
「どうだろう。干したり塩に付けたりすれば、海の物は冬を越して取っておける。魚も貝も塩も、海で採る。うまい魚が夏でも冬でもいる。海は海で苦しいこともあるが、食い物ではずいぶん助かっていると思う」
「そこの原で放牧する者たちは、その気になれば海のものも口にできる。ヒンガンの麓に比べれば、冬を越すのはずいぶんと楽だろう。北からの風はこの岩山の陰ならば避けられるしな。ところで、ナオト、捕まえた魚はどうやって食うのだ?」
「魚も貝も、焼くか煮るかして食うかな……」
「それなら、シカやヒツジの肉と同じだ」
「そうか……」
 二人してゆっくりと戻るとき、晴れた空に南から厚い雲が迫っているのが見えた。
 ――明日は大雨になりそうだ……。
 ナオトの夏の一日は、早や、暮れようとしていた。

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