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神田川の秘密25の3 十二社温泉のほろ苦く淡い思い出

二十六の2 十二社温泉にはほろ苦い思い出が
 神田川を相生橋で横切る道路は相生通りという。長者橋から成願寺の前を抜け、まっすぐ北上して来る山手通りに交差している。相生通りは南東に下ると十二社通りにつき当たる。十二社は「じゅうにそう」と読ませるが、十二所から来ているという説明がある。なぜ社を当てはめたのか、いつからの呼称なのか、興味は尽きない。
 ところで十二社だが、ここには2009年3月まで天然温泉が有った。
 JR新宿駅西口から歩いて行ける距離だったし、新宿公園をぶら歩きして温泉に行くのも楽しい行程だった。温泉は濃い茶色をしていて、湯船に浸かると肌がすべすべになった。口に含むと柑橘の香りがした。なくなってしまったのは惜しい。

戦後間もなくまで、十二社温泉の近所は花街だったそうで、今でも僅かながらその痕跡を残している。新宿副都心構想のもと、西口の大規模再開発で古い街並みは一掃されてしまった。

 十二社温泉が未だ営業していた盛りの頃。昭和36年(1961年)、温泉から徒歩で3分と離れていないアパートに同級生Kが姉さんと2人で住んでいた。高校を卒業したばかりの年で、成績の悪かった川旅老人は大学受験に失敗し、予備校通いをしていた。予備校で偶然Kと再会した。Kは東大を受験して失敗し、浪人となっていた。
 その頃の予備校は満室・満席状態で、3人掛けの長椅子、長机という有様だった。川旅青年は予備校の始まる時間より大分に早く行き、ほどよい場所に座席を2席確保するのが日課になった。2人で並んで勉強するのが楽しく、心弾む毎日だった。いや、勉強なんかどうでもよかった。一緒に座っていられるだけで幸せだった。
 ある日、Kが予備校を休んだ。次の日も来ない。3日目、不安な気持ちで胸がいっぱいとなっていた。Kの存在が自分にとってどれだけ大事だったか、否応なく気づかされた。矢も盾もたまらず、授業が終わると教務課に駆け込んだ。訳を話し、Kの住所を聞き出し、十二社温泉近くのKのアパートを探し、訪ねた。

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