私的産文、産文的私
あなとわたし
たの抜けた世界で、わたしはあなにハマってゆく
いつから、あなたは、いなくなったの?
わたしの問いかけは、虚しくおちてゆく。
ひさしぶり
ぼくは今日、といっても令和五年九月二六日に、何日かぶりに月をみたんだ
コンビニに行くあいだ、ずっと月とみつめあっていた
なぜか、泣きそうになったよ、久しぶり、少し欠けた、あなた。
におい
美術館にいったとき、懐かしいにおいを嗅いだんだ。あれはもう何年もあってない、古い、本当に古い記憶。クラスメートの女の子のにおい
アンリ・マティスの展示は覚えていないけど、このにおいだけはかいだのをおぼえているよ。
美術の講義で、またかおった
あのこは、美術品だったのかもしれない
かまきり
カマキリは鎌をふる、僕のあしにむけてふる
僕は黙って、それをみていた
マウス
マウスを横に薙ぐと、カーソルだけは山なりになる
弓は無駄に、がくがくしていた
あいについて
てにはいらないもの。
城、そして浮遊
城は浮いていた。雲の間をすり抜けるように地面は透明で、呆れ返るほど大きい城だった。あれは三四〇メートルだという。尖塔の先は、雷が落ちたあとで黒く焼け焦げていた。
鳥打帽
この帽子がどんなものなのか知らない僕は空想を走らせていた
が、走った空想は帰ってこなかった。僕はかわりに走って家に帰り、スマホを使って検索をし、ああこんなもんかと納得をして終わった。
樹の下で
「ねえ」と女の子が僕を呼んだ
僕は黙って彼女の方を向いた
その瞬間、緑の木の葉が、若々しいままに落ちていった
これを思い出した僕は今、秋にいる。永遠の秋に
天才的詩人
ねえ、僕は貴女に救われたんだ
たすけて!
たすけて! と叫ぶまもなく落ちる日。
筆箱
僕は、僕の人生の中で大切なものの一つに、今使っている緑色の筆箱を惜しみなく挙げるだろう。それは記憶を変えて記憶の現物として、本より本らしく、歴史より歴史らしく世界に佇んでいる。
銃撃戦
風の音が一切がない。環境音は一定で、妙なことに、耳は銃声と足音の二つばかりに目をやる。
詩情がないな、と思ったそのとき、破裂音がして音は止んだ。
三犯
一つ、あなたを殺した
二つ、あなたを蘇らせた
三つ、あなたを忘れた
背中
僕は指で背中に文字を書かれた
その文字だけが、僕のすべてを支配していることだけわかるのだけど、僕はそれがなんと書かれているのか、わからない
書いた人にきこうにも、書いた人には、長年あっていない
おぼえてる?
おぼえているよ。おぼえているさ。――ただ僕は、きみに覚えられていたのだろうか?
万里の長城
僕と君の間に、僕と君が建てた万里の長城は、僕らを永遠にわけてしまったんだね
そう言って僕は苦笑いをしたけど、僕は君の顔を見ることができない
樹
月の光によって見えた二つの秋の木
一つは葉をつけ、一つは完全に禿げていた
正義
燃えるような心は
裂けながらきらめき
間違える
サラダ記念人生
「この味がいいね」と君がいったから7月6日はサラダ記念日
「この味がいいね」と君がいったのを思い出したから7月7日はサラダ記念日
「この味がいいね」と君がいったのを思い出したから7月8日はサラダ記念日
――こうして毎日はサラダ記念日になっていった
Beatrice
カラスが道路を王者の顔で闊歩し、太陽の光とニンゲンが未だにコンクリートを支配しないでいる五時半
ニンゲンでないそれは、坂を登りながらため息をつく
そのため息は空へととんでゆき、いつかは天の女にまで届くであろう
が、それを天の女が理解できるかは、別の話である
震えと針
針を刺すと震えが止まる。まるで時計のようだね。なにを言っているのかわからないよ。針を刺すから震えるんじゃないの?
聖者の行進
私は聖者の行進に連なって坂を歩いていた。明るい曲調。トランペットが呼んでいる
生きるために生きている彼らの、軽薄な顔ですべてを嗤う彼らだけの世界が、地上に広がって、空は押し込められたように震えている
私は内心の発狂を心のなかに縫い付け抑えて、坂を登ってゆく。トランペットが呼んでいる、トランペットが呼んでいる……
めのはなし
僕は目が悪いことを知らなかった。黒板の文字はぼやけてみえた。そういうものだと思っていた。
目が悪いのだと言われて初めて僕は目が悪いのだと思った。眼鏡を付け、視界を奪い返した僕は、一生、幼子のころの目を失った。
世界を愛さない少女
「あなたの世界を愛しなさい」
少女は私の目を見て言った。彼女のエメラルドの瞳は、彼女の世界でのみ光るのだ。サインコサインタンジェント。私は「あなたの世界を愛しなさい」と彼女に言った。声は絶対に届かない。私は彼女を殺して、私のものにした。
電車に揺られて
ガタンゴトン
電車は揺れる、僕は電車に乗っている。行き先は知らない。ただとってもステキなところなのは知ってるよ
僕は敬愛する詩人に身振りでキスをして、ペンをひとふり、詩を書き散らす、音を立てて電車は進む
僕も君も、ただそれだけしかできない
でも、それだけで僕らは無限じゃないか! ほら、車窓から身を乗り出して空を見れば、マシュマロみたいな雲が浮いて、青空の海岸は無限の砂浜を創ってる
あなたのくれたチケットを、僕は強く握りしめて、どこまでも美しい世界を旅してゆく
ガタンゴトン
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