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いじめのはなしとむだばなし

 田舎の公立中学校というのは、往々にして変である。ブラジル人がひょうきんものとしてもてはやされることもあるし、オカマが重宝されることもある。残念ながら現代的差別はこの場で通用しない。

 とかく多様な人種がいるものだ。オカマ、ブラジル人、東北出身、不良、オタク、馬鹿、お嬢様、アタマのネジが外れた子、陽キャ、イケメン、不登校、そしてぼくのようなひねくれ陰キャ。

 成人式なんかは半分来ない。中学にいい思い出なんかないからだ。

 ぼくも中学にいい思い出があったわけではないが、高校大学といいことが全くなくつまらないから、しょうがなくぼくははるばる多摩から静岡まで成人式にやってきたりする。そしてここでもぼくはつまらない思いをして帰る。

 ぼくはいつのまにか故郷をなくしていた。

 なくしてしまったものを嘆くのはぼくの得意分野である。嘆くまでもない酷い田舎公立中学校の話を、ぼくは一つしようと思う。

 いじめというものはあった。というかいじめが常態である。女子便所に入ったからと言っていじめられた子もいれば、純粋に「おかしい」からいじめられた子もいる。込み入っていた女子バスケ部の人間関係に影響してスクールカーストから没落した子もいる。

 いじめには理由がある。ぼく自身がいじめに加担することもあったからわかる。いじめには理由がある。

 ただ、その理由が馬鹿らしいこともある。というかそれがほとんどだ。例えば、女子便所に入ったなんて嘘っぱちだし、その疑惑自体小学生時代の話だったりして、こんなの時効だろと思ったりする。

 いじめ問題に思うことは、いじめ問題の解決は、いじめられっこに脳死で「お前は悪くない」ということではないということだ。そういう被害者意識は新しい加害者を生む。ネットにはそういう手合がわんさかいる。

 きれいごととして、ぼくはこう言いたい。

「いじめられた理由を考えてみて、それのバカらしさを吟味しろ」

 ただ、こんなの無理だ。人間が正常に善悪を判断できるわけはないし、馬鹿らしいかどうかなんて主観的であったり客観的だったり「問題の解決」にはなりえない。

 いじめとは難しい問題である。論じる気も失せた。こんなのをしゃあしゃあと論じることができる人は、人をいじめても気づかないような気さえしている。なんて、ここまでいくと、ふざけた誇大表現だ。

 と、いうことで何かの訓示として、ぼくの中学校で起きた最大のいじめ事件について語ろうと思う。

 あれは中学の二年だったか三年だったか、一人転校生が入るということになった。

 転校生は横浜からくるという。田舎者からすると、あんな坂だらけで東京のベットタウンの、地元となんら変わらない下品な港町も、「横浜」という文字列だけでウキウキするものだ。黒船来航のような衝撃である。

 黒船転校生は女子だった。田舎にとって、横浜の女子がオシャレであるというのは、日本人にとってのパリジェンヌがオシャレと同じぐらいの常識で、男は性欲からウキウキするし、女はもうその美を盗もうと躍起になっているのである。そんなあさましい一群にぼくはいた。

 転校生が来た初日。生徒は極度の興奮状態にあった。我々の学年の教室が並ぶ階は浮足立って、異様な熱狂があたりをつつんでいた。先生たちは、どうどう、落ち着けと言ったが、みな田舎者である。休み時間に入ると、学生たちは黒船を一目見ようとあたりに集まった。

 ぼくは斜に構えているので、もちろん教室にいたまま、

「そんなに気になるかね」

 と馬鹿騒ぎに乗り切れない人々に向けて喋っている。この場にいる全員かどうかはわからないが、少なくともぼくは内心は気になり過ぎていた。そのせいで八年近く経った今、こんな文を書いているのだから。

 教師はこの休み時間の暴動に度肝を抜いた。転校生をみるために百人近く集まる(当時一学年二四〇人近く)というのは、冷静に考えてパン屑に群がるカラスより多い。学年たちがカラス並みに馬鹿だと気がつかなかった教員諸君もカラス並みの馬鹿かどうかは置いておいて、ともかく次の時間には対策が行われることとなる。

 教員数名で黒船の近くを警備し始めたのだ。阪神ファンの白粉気が強い怖いおばさん英語教師、ゴリラがあだ名の数学教師、サルのような顔と耳の理科教師が前に立つ。つまらないおとぎ話のよう。

 それに文句を言う生徒はなにやら革命や学生運動を思わせる。やっぱりこれも下手くそな社会風刺のようだ。

 ――と、やに下がった顔で見ているぼくの顔は下品である。こういうところに小説を書こうという根性があるのかもしれない。

 暴動は授業が始まって五分後ぐらいでようやく鎮まる。生徒のほとんどは黒船の顔を見ることが出来ていない。民衆の怒りは爆発寸前である。授業中にはいくつか噂が立ち始めた。

「転校生はブスである」

「転校生は横浜自慢をしている」

「授業中にスマホを使えないことに不平をいった『え、なにここ、クソイナカじゃ~ん』と、俺らを馬鹿にしている」

 ブスが我々の故郷を田舎だと言うことは許せない。というひねた愛郷心の爆発と、都会に対する幻想が勝手に崩れたのが災いし、昼休みには本当に暴動じみてきた。――ちなみに噂は全て噂の域を出てはいなかった。

 黒船はもはやマリーアントワネットであった。野次馬を後ろから見ていた人々さえ、転校生がつるされ、いじめられ、最後にはギロチンで斬首されてももしかたがないと思っていたのである。廊下には「ででこいブス」という怒声が大量に、そして冷たい響きをはらんだまま教室や窓ガラス、外へと染み渡っていた。

 ――マリーアントワネットは翌日には学校にくることを辞めた。黒船は沈没し、一クラスに三人近くいる不登校の仲間入りをした。

 それも束の間で、すぐ別の中学校に転校したのである。彼女の行く末は誰も知らない。彼女の友人になった人間は一人もいなかったからである。……もしかしたらそういう人間もいるかもしれないが、ぼくの貧弱な交友関係ではそんな人間の噂さえ聞かなかった。

 元々のいじめられっこの一人は、そういう末路の黒船を嘲笑っていた。その笑顔は歪んで見えた。

 

 筆者であるぼくは、この一つの陰鬱な事件に対して見解を述べるべきなのだが、ぼくは口をつぐみたくなってしまう。

 ぼくはこの事件を断罪する力がないのである。ぼくも野蛮に罵声を浴びせた一人である。もしかしたら、未来にまた、野蛮な罵声を浴びせる一人であるかもしれない。

 ぼくは、この文章になんらの訓示も得るべきではないと思っている。さっきは訓示として、と前置きしておきながら。救いのない話である。酷い話だ。

 ――もしかしたら、ぼくは人間をニヒリズムの内に諦めているのかもしれない。少なくともぼくという人間の歴史は、諦めの中に存在している。

 これを批判しなければ噓である。呑気なもんだ。卑怯もんだ。

 それは確かに、革命でも黒船でも、いけ好かない転校生でも、ブスでも、カスでも、ゴミでも、教師に守られていても、都会人でも、田舎者でも、オカマでも、ブラジル人でも、東北出身でも、不良でも、オタクでも、馬鹿でも、お嬢様でも、アタマのネジが外れた子でも、陰キャでも、陽キャでも、イケメンでも、不登校でも、ぼくらは文句を言う権利はあるし、そうしても世間は大方許すのである。
 が、己個々人の理性において、己の彼をいじめる理由の批判を行わなければいけない気がするのだ。

 馬鹿げた話である。地元を田舎といわれたという噂だけでリンチとは、狂気の沙汰である。お菓子がなければパンでいいという噂でギロチンなんて話もやっぱり、狂気だと言える。

 しかしぼくは、恥ずかしながらニヒルな結論に軟着陸せざるを得ない。多少の自尊心か、良心のせいかどうかはわからない。

 我々は法治国家に生まれ、法律が存在するところで暮らしているため、罪が何か絶対的な錦の旗によって存在するように錯覚してしまうが、結局「罪とは、罪に気が付かなければ罪ではない。」のである。

 我々は、ナザレのイエスが、やせぎすの大工が「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と喚いて、我々の罪まで背負って死んだことを知らないため「原罪なんか知るかボケ」と言える。驢馬に乗ってエルサレムで暴れた神の子の苦悩の話を知らないし信じていないからだ。

 ぼくから言わせるとキリスト教徒は全員地獄行きである。イエスの背負った原罪に気が付いたのだから。キリスト教徒はあのイエスを超える徳行を積めるだろうか? というかキリストに申し訳なさを感じた時点でキリスト教徒であるような気がする。

 と、言うことで、鈍感であれば、人を傷つけていても気がつかないので、鈍感であれ! という小話でした。……酷い話だね。ぼくは鈍感だったり敏感だったりするので、あんまりなんとも言えない。皆様はどうでしょうか。
 皆様がこんな呑気であほくさく、当たり前の倫理を偉そうな顔していうほど鈍感ではないということに、ぼくは多少の罪悪感と羨ましさを感じます。


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