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オールアバウトマイマザーby文子
映画の話ではありません。この映画とても好きだけど、題名だけ頂戴して、わたしの母のことを話そうと思う。語り尽くせないが、断片を。
何で話そうと思ったかは分からない。今、酔ってるからかな。みんな、孤独になっちゃダメと、思ってるからかな。
母は、わたしが、この世に、こんなに孤独な人はいないと思っている人だ。家族から弾き飛ばされて、一人ですべてと戦っていた。そして文字通り、家族のなかで、一人っきりの生き残りになってしまった。その淋しさはわたしには、はかりきれない。
母は、父との結婚を実家に大反対されて、二度とこの敷居を跨ぐなと母親に言われて、勘当された。
母は、父とは、東京に出たら離婚をしようと思っていて、そのつもりで結婚したが、途中で第一子の妊娠が発覚したため、そのまま婚姻関係を続けたらしい。その後、あわせて3人も子供を産むんだから、夫婦はわからないなあ。
母が長女を妊娠していた頃、母の一番上の姉が自殺をした。まだ幼い子供を遺して。
母はしかし妊娠中であるため、お前は来なくていいと言われ、代わりに父が葬儀に出たそうだ。
「絶対負けない!」というのが母の口癖だった。酔って、前後不覚になっても、「負けない!」というのだけは忘れずに吠えていて、冷めた目で見ていた私は、なぜそんなにこだわるのだろうと思っていた。
父は自営業をしていて、母が経理のサポートをしていた。父はいつもミスをしてしまう。それにいつも母は激昂していて、諍いの絶えない家だった。請求書の封筒の切手の傾きや向きにも怒る母だった。
私の祖父は、母からの話によると、大工の棟梁だったらしい。しかし、大酒飲みの酒乱で、祖母は苦労をしたそうだ。人が良くて、妹弟に騙されて、財産を失ってしまったそうだ。
祖母は、これも母からの話だが、色のついた飲み物は嫌がり、お茶もコーヒーも飲まない人だったという。裁縫も手仕事もなんでもできる人だったらしい。内職をいつもしていたそうだ。
母は一度、謝りに実家へ行ったことがあるらしい。その時、祖母は手をついて謝る母へ、一言も何も言わず、帰る時になって、帰るんだか、と一言言ったそうだ。
それがいつのことか、わたしは知らない。
母は故郷を捨てた。
母は一男五女の末っ子の五女だった。いつのまにか、家族は全員鬼籍に入っており、母は誰の葬式も誰からも教えてもらえず、しばらくは何も知らないで過ごしていた。
墓参りに一度行ったが、墓の場所が変わっていて、分からずじまいだった。
家ではエキセントリックで激情家で、瞬間湯沸かし器だが、ある日、母が声を上げて泣いていたのを見た日、わたしは母の一切を許した。
母は意固地なくらい家族団欒に拘る。一つの部屋に家族が集まって、テレビを、ポーズだとわかっていても、見ることを要求する。
切ないくらい孤独な人だ。友だちに手当たり次第電話をかけ、数人には着拒されているのを、信じず、掛け続けている。
言い換えれば、純粋な人とも言えると、この頃は思うようになった。
寂しくて、淋しくて、わたしのことをお嫁に行かなくて良かったと言う。
わたしは、母の潔癖症の癇癪持ちをどうにかやりすごし、今日も二人でお酒を飲む。
今日は今わたし5本目。本麒麟。飲み過ぎかなあ。しゃっくりがでてきた。
なんか、まとまりがないけど、母の電話魔なのは、本当は、実家にかけたかった電話なんじゃないかと思う。今は誰もいない家にかけたかったんじゃないだろうか。
母は、数少ない、電話の繋がる友だちには、必ず、さいごに「元気でいてね」という。
わたしも、皆んなに、元気でいてね、と思う。
元気でいてね。
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