悲しみが消えるというなら
2023/01/19
こんばんは。
私はBUMP OF CHICKENが好きだ。兄の影響もあって小学校入学くらいからずっと聞いている。
車でひたすらCDで流れていたので曲名はあやふやだったりするが、カラオケに行ったらほとんどの曲は歌える程度には頭に入っている。
大人(というにはまだ早いのかもしれないが)になってから聞いてみると、非常に考えさせられる歌詞が多い。
これからも触れていきたいとは思っているが、今回は「HAPPY」(2010)について。
これが最初のサビ。確かによく、悲しみや怒りは時間が解決してくれる、とは言う。でも誰も、楽しい瞬間や喜びにも終わりがあって、いつかそれも忘れていくものだということを敢えて言おうとはしない。最初は「そんか希望のないこと言わんでも、、」とは思った。でも最近になって、こういう「割り切り」によって救われる瞬間もあるのかもな、と思う。
楽しい、とか喜びとかを感じられないとき、「まあそういうもんだ」と思えるのはある意味生きていくのには重要で、それが大人になっていくということなのかもしれない。
ん〜、なるほど🧐
はじめは「悲しみは消えるというなら」と言っていたが、実は悲しみはどう慰めたり励ましたりしたって消えはしないのである。つまり悲しみは「消える」のではなく、感じるのを「諦める」だけなのである。そしておそらく喜びも同様なのだ。
過去の悲しみや喜びを感じることを諦めた先に何があるか。それは「空っぽ」なのだ。過去を終わらせるのには勇気がいる。でもその勇気があれば、何が待っているか分からないその先を選ぶ恐怖にも打ち勝てると。
空っぽだからこそ、その先の道を選んで進めるし、喜びや悲しみだってまた感じられるわけだ。
その「空っぽ」を藤くんは「愛おしい」と表現するんですね。はえ〜〜
これを最後に持ってくるんですね。えぐい。
最初のサビが一気に覆されるわけだ。「傷は洗ったって傷のまま」悲しみは消えないことだってもちろんある。でもそれなら、生きていく希望だってあるはずだ。なるほどぉ。
「どうせいつかは終わる旅」ってのはまあ人生かなぁ、と思う。たしかに長い人生で感じる喜び悲しみは最後には全部灰となる。それでも誰かの心には残ったり、生きる意味になったりするわけで、だから「一緒に歌おう」なのである。
つくづく優しい歌詞をかくなぁ。
そして最後をこう締める。
生まれてきたこと。そして何度も誕生日を迎え歳を重ね大人になって、時に感じることを諦めても、また空っぽの心を抱えて続きを選んでいく。そういう瞬間を誰かと一緒に歌いともに生きることが、"HAPPY"ということなのだろうか。
歌詞について考え出すとキリがないですね。
また他の歌詞についても考えてみたい。
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