能力云々よりも


世の中に出れば、学校とは別の辛さや傷付きがある。

学校までなら、できないことは大目に見てくれたが、世の中に出れば許されなくなる。

もちろん、出来ないなりに代替の手段があるならいい。
しかし、何も出来ず、何も手段も思い浮かばずでは困るのだ。

たぶん、この辺りが個人の能力…云々に関わってくるのではあるまいか?

親は子に期待する。
出来ないより出来た方がいいし、より良いことを身につけさせたいと思う。

しかし、考えてみたら、むかし子供を自分の代わりとして…あたかも人形のように扱う親が問題である、と齋藤医師は言った。

要は子に自分の出来なかった夢を託すのだ。

そして、親は経験が子よりある。
親は子を同列に並べてしまい自分の子は自分よりもできるだろう、と期待しがちになる。

生物学の池田さんなどは、その妙を言い当てており、無理な事(能力以上の事)をさせるから、子が家庭内暴力を起こすのだ、という。

身の丈にあった生き方をするのもいいが、自分の能力の限界を悟るのは、辛いものである。

しかし、背伸びしたり、爪先立ちになって生きるのは辛く長続きしない。

むかし、医師がムリをして鬱病になったとあった。
それだって、ある意味無理しすぎて反動が来たのだろうし、120%で何時までも走り続けることはできない。

親の期待が子に負担になるとき、物理的な形…教材やジムに行かすなどで働きかけるのもあるが、精神的な負担もあるだろう。

あなたならできる、というのが残酷なのは、できなければ認めない…または、できるハードルを上げるやり方だからだ。

そのハードルを超えられる子ならいい。
しかし、それが出来ない場合は、後から子に無力感や才能のなさを直接的に分からせる。

この辺は何となく、時間をかけて悟らせる方が、実害がないと思う。

しかし、1番は過度な期待をかけず、身の丈を外れたことをさせないことであろう。

難しい部分でもある。

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しかし、逆に思うのは子が出来ないから、虐待じみたスパルタをすることだもある。

土日の野球部など見れば親は進学先の内申はともかく、タフにさせ世の中に出したいというのが、あるかもしれない。

そのむかし、過干渉が問題になったが、あれだって負担をかける状態にすぎない。

自分が不安だったり、期待したいためにあれこれいったり、為になることをして、善意でダメになってく子は居るだろう。

自分の子はできるはずだというのは、保険を無くす。

できなかった場合はどうするか?の逃げ道も同時に考えておかなければ、親は夢が潰れ、子は自分(?)の結果の出せなかった未来に投げ込まれるだろう。

まぁ、過度な期待を誰かにかけること自体が、あとで毒になるかもしれない、と考えている方が少ないかもしれないが。

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