夜間中学のドキュメント

夜間中学のドキュメントを時々観ているが、義務教育を終了するため、いろんな世代や外国人がやってくる。

当時の事情で中学が出られず、10代に受けていただろう勉学をまた学ぼうとする姿勢は、立派に感じた。

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いまは、通信やフリースクールなど(懐具合を気にしなくてはならないが)勉学の門戸は開かれてはいる。

私などは学校を逃げ回っていた口で、非行や不良とは違い、ビビりなタイプだった。

中卒じゃあ困る。でも、高校くらいは出ておかないと、もっと困るというので辛うじて出ておいた。

大人が大学生活を語る時、学校は人間関係に浸かるところだ、というが私には違和感や居心地の悪さを感じる。

学校じたい人間が集まるゆえ、必ず勉学以外にも序列が生じる。
今で言うならスクールカーストだろう。

不良だって、単に暴れているわけでなく、知能犯のように狙って、ここぞとばかりにしでかす。

そして、昔と違う唯一の違いは、知能犯が多くなったことだろう。

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結局は、世の中に出れば職場など人間関係はやらなくてはならない。
かといって、人間関係云々言う時代は、少し前の話である。

それよりも、業務やルーチンなどのタスクを1日でどれだけこなせるか?に時代はシフトしているし、人間関係をやらなくていい職場は、探せばそこそこある。

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学校嫌いで高卒ギリな感じだったけど、あとの必要な物事は本を読むようにしていた。

それでも、国語が不得意なのはテスト向けの読み方をしていないからである。

とにかく「もう一度、学びたい」という人間の姿勢はよく分かるもので、何も人間関係でなく、教養…基礎教養を身につけたいという人物の姿は、学校が人間関係だけでないことを伝えてくれる。

何かを知ったり、理解したい、身につけたいという姿勢が本人だけでなく、周りをも感化するのだ。

海外の親が子を夜間中学に通わせるシーンがあったが、慣れない国の言葉や文字を覚えるのは、時間もかかるし、覚えるのも大変そうだった。

それでも理容師を目指し、この国で開業する夢を語るシーンは、基礎教育や教養の大切さを感じる。

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