人間らしくなるために(教育と人間)
久しぶりに灰谷先生の本を読んだ。
いまの教育事情に似つかわしく無い理想溢れる内容だ。
彼が教育現場を突然去ったエピソードがあるが、今だったら責任放棄で大問題になるだろう。
時代的に人間を慮らない細やかさが無くなったのだ。
先生の生きていた当時は感性に訴える授業が健在していた。
しかし、それだって理想や独り善がりかもしれないが、やらないより、やった方がいい。
人間や教育、人が育つという本質に近づけない。
昨今の、機能的な教育は四半世紀前よりもキツイ。
受験で問題になった子が、部屋にエアガンで武装するとか、教育競争により拍車がかかっていると言われる。
しかし、私は親たちの抑止力を周りが(忙しすぎて)失ったようにもみえる。
親は我が子には躍起になる。
成績を良くして良い生き方をさせようというのは、なにもこの国だけでなく、韓国や海外でも相当らしい。
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機能的教育の反対は感性の育成だろうか?
その点については灰谷先生の師匠、林先生の方が教育哲学は結晶を思わせた。
もう一度、林先生については読まなければならないが、灰谷先生同様、彼らの教育について忘れれば、何だか人間らしささえも失いそうな気がする。
戦中や戦後の人間は、それ以前の真似してはいけない見本があり、いくらでも改良点が想像できたようだ。
団塊から三無主義への流れは、あたかも川の流れが終わり、淀みに入った様に似ている。
要は世の中が完成したあとに何をすれば良いのか?である。
だから、あとから生まれた者はシラケているしかない。
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