精神科医療や宗教など


精神医療の患者拘禁が問題になっている。

1番は地域に患者を放つというもので、専門家…それも、ピュアな専門家は入院より解放を話す。

問題は、それでやっいけるのか?だろう。
理想論で何も出来ないのがよくない。

要は患者がやっていけるならいいのだ。

問題があるから患者なのであり、問題ないなら健常者である。

それに、ブラックジャックによろしくや、民間警備移送会社の扱う極端な例が目立ち、軽症~重症のバロメーターはあるはずだ。

それに、〇〇だから優しいとか、妙に美化してはいけないし、現実を伝えたり、受け入れたりする態度は必要だろう。

まぁ、そこまで世の中が余裕があるかどうか?
メンクリが激混みと噂されるが、精神医療の敷居も低くなり一般化が進んだのだろう。

ただ、途方もないケースもあるに違いない。
そこは、イメージを保留に持ち判断していかなくてはならない。

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ドキュメントで現代の宗教問題を観た。

最近では、例の教会が問題だろう。

ドキュメントでは専門家らが、意見をいい合っていたが、宗教教育をどうするか?云々と、やっていた。

この国は無宗教と言われる。
海外に出たら宗教欄を書かされるのだが、それをしなくてもいい中で生きている。

河合さんや、心理の専門家は無宗教は、世間教であるというが、イベントや楽しみのための宗教というのは、果たして神様に誠意はあるのか?と思ってしまう。

もっと宗教は怖いものである。
仏教ですら従わなければ、錫杖で打ち殺してしまえというのがある。

そう考えれば、この国では硬いこと言わず、葬式仏教であろう。
信仰より、死体の始末で使われる。

私の印象では、縁日とは言うが都合縁日に感じる。
ご利益を受けるためだけの神仏目当てなだけで。

この国では、どうも都合宗教である。

宗教性が教育には必要とあれど、教育は点取り競争であり、道徳さえも点数化されかけた。

それよりも、問題なのは流行的なタブーである。

世間教は、時代とともに変化し、教義に論破や正論、効率など、大事にするものはコロコロ変わる。

神様よりも、タブーが神様のようなものだ。
そんなものに振り回され、流行りになったりするのだから、遊び感覚みたいなものだ。

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