世の中の矛盾や欺瞞など


新宿に若い子が集まるといって、何もしないし、何もできない大人を見ると虚しくなるが、私もそのロクでもない大人のひとりだから、文句は言えまい。

なかには小学生も補導された、というが行き場はないし、虚しい場所に戻されたとしても、根本的な解決にはならないだろうと、読み取れる。

四半世紀まえも、学校の欺瞞などは似たようなものだったかもしれない。

管理体制の強い組織に、若い子は暴れたし、保身や仕事のためと、教師らの態度に胡散臭いものは、既にあった。

しかし、考えてみれば、教育現場ですら、大人の生産現場であり、給料を貰う場所でもある。

識者や専門家らが、教育論を如何に唱えても、いつも風が吹き抜けるように効果がないのは、効果がないのが本質と言うのを物語っている。

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しかし、新宿にたむろする若い子というのは、結果である。

また、若い子の自殺や生きにくさが出るのも結果である。

そして、それらにコミットできず、救い方すらも分からなくなった大人が居るのも結果である。

たぶん、私が若ければ大人の欺瞞、綺麗な言説に飛びつき、しがみついて、真実から目をそらす、汚さに唾でもも吐くかもしれない。

大人の世界は、真実から目を逸らし、綺麗な言説な内側に身を置き、それ以外は自己責任だの、努力が足りないなど、口癖にしながら、見てはいけない世界と一線を敷くのだ。

エラーというか、歪な形で吹き出たのが、昨今の私人逮捕のようなものなら、一応は、世の中の姿勢を正そうとする萌芽はあるのだろうが、その要領を得ないやり方というのは歪そのもので、コメディや収益という形で世の中に提示する以外にない。

中国の古典ではないが、親が〇〇なら子も〇〇になる、とあるが大規模なシステムが、そうならざるを得ないというのは、いまのシステムはシステム自身を選び、変更する気がなかったからだろう。

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ネットや話題になる自己責任の真意はなんだろう?

これは、世の中を理解しろとか、上手く馴染めという圧力にも聞こえる。

しかし、1歩踏み込めば相変わらずの競争原理は働いてる見えるし、上手く世の中に馴染むことを求める部分は大きい。

本質は競争原理の理解である。

考えてみれば、若い子の生きにくさが出たり、結果的に氷河期世代という、ある種のエラーがでるのも結果であろう。

現状を維持するにはそうせざるを得ないという、ビジネスマインドのような、壮大な犠牲である。

上手くいくならいい。
しかし、1度、負けの味を知ったあと、世の中に復帰するには、世の中が舞台や悲喜劇で流動していると知らなければならない。

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