関係性の病その後(素人が語る)
心理学のなかで、ときたま関係性の病について述べられる。
とくに、この国では関係が生じて病的な状態…云々と、続けわけだが、要は弱いものイジメなども、入るだろう。
中井久夫などは、イジメの完成系を透明化と述べたが、それはあたかも主人が手下を自分の手足のように使うが如きである。
たとえ学者や専門家ですら、遠回しでしか物事が言えないことがある。
それを言えば自身が危ないこともあるが、文化の時間的な成熟や理解の仕方に沿わなければ、意味が無い。
要は、適切な時に言わないと理解されないのだ。
社会学や歴史で説明するアプローチもあろうが、表現が露骨すぎるし、あたかも遠い世界のことに受け取られることもある。
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関係性の病は身近なところにある。
最近のイカした心理学を持ち出さなくても、主従関係や権力関係は、人間がある限り、発生する。
抑止するためには、使用者や取り巻きの自覚しかなかろう。
中井久夫や河合隼雄、なだいなだなど過去の心理学者たちは、心理学のアプローチから様々な解釈をしながら、精神文化的な病を解明してきたと思う。
ただ、問題はこれか起きる、起きつつあることに、どれだけケースをあてはめ、内容がマッチできるかだ。
もし、アプローチのほかに些末な事例や問題が生じた時、新たに「言葉」を作るのもありだが、実は過去の事例や歴史的なケースを鑑みれば、創作は少なくて済む可能性はある。
私が歴史の大事さを言うのはそこだ。
もちろん、神話や昔ばなしも参考になろうが、世の中に直接受け入れられるか?と言えば、疑問である。
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