毒親が子供を手放すとき

離れて暮らす三ヶ月

昨年末から入院し、2月2日に退院。そして別居して2ヶ月、計3ヶ月夫と息子と離れて暮らす。だいたい別居して一ヶ月、三ヶ月、六ヶ月で復縁しなかったら離婚につながるとだいたい書いてある。

 入院中は体のことに気を向けて、正気を保つために韓流ドラマとユーチューブで気を紛らわせていた。その間に別居離婚を考えていて、ステロイドのせいかもしれないが、躁鬱の躁がまさって、かつ、お年寄りのがん患者や、痴呆症の入院患者の様子を見てたら、自分らしく、やりたいことやる人生をこの時は強く望んだ。季節に合わせた行きたいところや、食事、趣味勉強、パートナーとの時間。こららは主人とだとできないと強く思った。浅はかな決断だったが別居を入院中に考えて退院するまでに伝えて、退院したらすぐに別居となった。

 退院してからはすぐにウィークリーマンション借りて、その間にアパート探してと、自分で決めた未来にこの時はワクワクしてた。
主人と別れて、収入源も計算し、新しい仕事、コンテンツで稼ぐYouTuberをみて、すぐに入会。この時毎日日記も書いていたし、ブログもよく読んでいたので、文字が頭の中で溢れてたから、講座代が結構な金額だったが即決して入会した。並行して、食事には気を遣った。ステロイド60から始まり、退院した時は10になったが、糖尿病になるリスクがあるとユーチューブで見まくっていたから、食事食べ物が食べれなくて、退院前後から8キロ痩せたままだった。
 2月中旬アパートに引っ越しし、なんとか生活できるようにお金をかけずに毎日あれがないこれがないとやっていることに気が紛れた。プリン屋の仕事も少しずつこなし、コンテンツの勉強しながら、2月20日山羊座から冥王星が出るとか、スピリチュアル占いYouTubeに踊らせれ、どんないいことがあるのか楽しみにしていた。
が、結局13日に自宅前で歩行者を跳ねてしまって、まったくの自己嫌悪。相手は警察官だったので、私の対応が適切だったからと示談で保険対応で済んだ。この日も最悪で過呼吸と涙が止まらず、一人で耐え忍んだ。

この時まではまだ息子と連絡したら返事が返ってきたから繋がりがあった。
けど、全く話そうとしてくれてなくて、ママが出ていくなら話さないと言われて、ラインでも私の気持ちを押し付けてしまった。

3月に入り、決算もあったし、だんだんと体力も気力も戻ってきたから、友達と日帰り観光したりとか、日光に一人でぶらりと行き、そのまま止まったりした。アパートが薄暗く、毎日帰るのが嫌になっていた。一人が本当に辛くなった。
 樹一からのラインの返事も全くなくて、このころ自分が毒親で自己愛パーソナリティ障害、自己肯定感低すぎと学び、それで主人と息子にキツく当たっていたんだと心底理解。腑に落ちた。自己肯定感低いと他の人には優しいが、家族にはアラしか見えず、そこを攻め続けてしまう。そう、本当にその通りと理解した。このままでは樹一も私と同じになってしまうと、
ネットで調べた長濱文子先生に電話をしてすぐに時間をとってくれズームでカウンセリング。まずは主人と向き合った方がいいと。
そうだ。その通りだ。
15日一粒万倍日お財布変えて金運アップ、20日春分の日、宇宙新月、金運もあるから宝くじ初めて買って、 もう当たる気しかしなかった。やたら車のナンバーみてゾロ目探したり、11が目についたからエンジェルナンバーなんだろうとか、取り憑かれたようにYouTubeみていた。

25日また警察に捕まった。歩行者進路妨害。ゆっくり、前を向いて、パトカーいるのはわかっていたから、逆に意識して周り見なかったかも。
 ここでも過呼吸。もう絶望しかない。

引き寄せや占いスピリチュアルがやってくる時は、ことあること、時間ある時にYouTube最近はオーディブルで引き寄せや波動などの本を聞いていた。内容がドンピシャ。

25日警察に捕まっている時、主人が偶然に通りすがった姿を見た。泣きながらアパートに帰り、主人が追いかけてきてくれるかなとか、夜連絡くれるかなとか、期待してしまった。するわけない。
 もう自暴自棄になって主人に もう死にたいと ラインを送ってしまった。そしたら両親に連絡して、両親が駆けつけてきた。
 主人は 必死で 必死で 生きてます。 樹一のために
と、私は自分のエゴで家族を捨てた。息子も母に捨てられて、父が死ぬほど働いている合間に自分の送迎世話をしてくれている姿に愛を感じていると思う。私よりも
 
そう、もう入る余地はない。
私は、息子の送迎の時にやる気をなくさせるような癇癪を起こして送ったこともあった。大好きなミュージカルの練習に行く時にも用意ができていなかったら怒りだし、ここで降りなさいと!理不尽に感情ぶつけてた。
塾での成績も誉めずに、もっと頑張んないといけないとか、
 友達が遊びにきても振り回したり、
私のしつけは人様に迷惑をかけないようにしないといけないよ。だったが、本当にこれが必要だったか。
ご飯もいつも適当。主人は飲食店経営しているから料理は美味しい。
愛情いっぱい。私のかなうところはない。というか、比べるところでもう間違っている。こういうところを尊敬し、頼り、二人で子育てしたらよかった。けど、こういうできないことを想像してしまうのは主人の仕事をちゃんと理解してないからだ。彼は必死で一人で、いつも、働いている。家族のために、それを理解しないから、もっと家にいてほしいとか、手伝ってとか、こちらが望むものを要求するならば、私も彼を手伝ってあげなければいけない。
 私も一人っ子の樹一を迷いながら今までワンオペで育ててきて、正解だったか迷っていた。けど、半年前の新国立劇場での息子の立派な姿を見て本当に誇らしかった。これが私のエゴで変な自信となって、もう樹一は大丈夫と変に考えてしまった。大丈夫なわけがない。これから、高校大学とまだまだ手がかかるし、お弁当だって作りたい。節目の姿も見たい。私がそこにいないことが想像つかない。

絶望の先に

警察に捕まり、睡眠導入剤のんで、寝て、寝て、寝て、
泣いて泣いて泣いて、泣いて、

ふと、今までを手放し、今自分ができること、したいことを全力でしようと、湧いてきた。
もう、どうしようもない。死ぬこともできない。
家に帰ることもできない。

半年後自分がどうしていたいのか、どうなりたいのか、強く願い、樹一が誇れるママになるために今から必死に頑張ろうという気持ちになった。とにかくこのアパートは7月には出たい。
ということはこの三ヶ月で収入確保と移住先、やりたいこと、望む自分を描き、それに向かって進むだけだ。



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