2/28 『十角館の殺人』マンガ版を読んだ

原作小説は十数年前に読んでいて、『館』シリーズを読んでいきたい気持ちもあったものの実行には及んでおらず、そうこうしてたらマンガ化の報があり、じゃあこれを読んでおさらいしてから次の『館』を訪れることにしよう、とか思ってたら気付いたらマンガは完結していてさらにドラマ化の報まで飛び出していた。じゃあそれを観ておさらいしてから……とか言ってたらキリがないのでこの度手を着けた。
十数年前と言ってもさすがにここまでのインパクトがあるとトリックのキモは忘れようがない。昔読んだ記憶を昨日のことのように思い出しながら、ここはこうであの時ああでと思い返しながら読み進めていくから、手が止まらず全5巻を一気読みした。
原作ではミス研メンバーは、作家の名前をニックネームにしたりして、本物の殺人事件が起こってもミステリの延長で推理ゲームに興じようとする愚かで滑稽な連中という印象だった。終盤でかれらの本名が明かされたときも、エラリイだのポウだの呼び合って推理合戦や探偵の真似事してたくせに実際にはめちゃめちゃ普通の地味な日本人名だったし全員犯人にまんまと殺されたアホな大学生という、幻想の解体というか、ズッコケ感を醸し出す演出だと感じていた。
しかしマンガ版は何と言ってもビジュが良い(十数年前には無かった言葉だ)。各々のニックネーム、呼び合う関係が板についてしまう風貌。探偵役気取りのエラリイにも本物の名探偵のごとき求心力が宿ってしまう。そこがこのマンガ版のキモであると思う。マンガにせよドラマにせよ『十角館』の視覚化を図るなら当然一番の目玉は「あの1ページ」をどう表現するのかだろうし、マンガ版でもそこはとっても良かった……まあ3話目でもう「なるほどね」とはなるんだけど……が、「登場人物全員のビジュを良くする」も負けじ劣らじのオリジナルな仕掛けトリックだったんじゃないかな。これによって、原作から改変された中村千織の死の真実、ミス研メンバーの抱えた秘密の意味なども活きてくる……好感度が反転する。あんだけぎこちなかったミス研メンバー仲も、実はあれで悪くない関係だったのでは……だからこそこの事件は悲劇で、犯人の最期の選択も、背負った罪の意味合いも変わる。「ビジュアルの改変」を呼び水に「登場人物の人柄改変」から「過去の悲劇の真実改変」「今回の悲劇の結末改変」「犯人の選んだ末路の改変」へと続いていく様が美しい。
それはそれで賛否は分かれるかもしれない。が、かように全体的に愛せるようにしてあるというのは、作品が、そのトリックや演出が長年愛されてきた結果、登場人物たちにもその愛が遡及されていったってことじゃないかなと思うのだ。巻末の4コマ劇場とか、最初はおいおいこの面子でそんなコメディなことやっても結末がよ……って思ってたのに、最後にはこんな素敵な世界があったのかも……いや、あったんだよ、悲劇が訪れるまでは……!ってなったもんね。原作を読んだときには抱かなかったかれらへの愛おしさ。それはこのマンガ版だからこそ得られたものでもあり、ここまで原作が愛され続けてきたからこそ生まれたものでもある。
あとは、島田潔。原作じゃちょっとした賑やかしだった……最後に美味しいところを持っていくような気配だけは感じさせてた……キャラだったと思うが、彼もいいキャラクターになっていた。どうも他の『館』にも出てくるらしい……これから原作の『館』シリーズに手を着けていくのに、このマンガ版としてのキャラクターを連れて行くのが、果たして凶と出るのか吉と出るのか。なんかどっかの『館』でうっかり殺されたりしないだろうな。悲しくなっちゃうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?