5/16 『孤狼の血』を読んだ

面白かった。

数年前に映画で観てとても面白かった(https://note.com/moderatdrei/n/naccace69236e)ので、小説もまあ面白いだろうとは思っていた。映画も続編が公開されるということでおさらい的な意味でも原作を読んでおきたかった。が、大筋は変わらぬものの、意外と原作と映画で変わってる点なども多くて、単なるおさらいに留まらないスリリングな読書体験になった。まず何より(何より?)、映画で初っ端からこちらのドタマを撃ち抜いてくれた豚のクソ拷問シーンが無かった、映画オリジナルだったってことに驚き。原作は原作でとても惨い目に遭うのではあるけど、いや、あんなの、映画化にあたって新たに付け加えられたオリジナルシーンだとは思わないじゃん。その度胸に恐れ入る。他にも映画で観られた大上さんの悪漢というか悪行ぶりの結構な割合が、映画にしか無いものだったことにひたすら感嘆する。先に映画を観てしまったばっかりに、原作の大上さんのせっかくの破天荒ぶりが全然まともに……は、見えなかったけれども。これはこれで、だ。

インパクトという意味では、そりゃ確かに映画の方が強かった。映像だし。しかし原作小説がそれに引けを取っているということでは全くない。小説には小説の魅力が勿論あるとも。まず一つには作品舞台の極道勢力図などをしっかり頭に入れて物語を追っていくことができた。映画じゃあの辺はズババッと手早く説明されて流れていったので、あんまり理解できていなかったし。
さらには、文章で読む広島弁ってのが、どうにも愛嬌があった。言ってることやってることはもうどうしようもない最悪ではあるんだが、「~ですけ」とか「しちゃるけえの」とか、わずかながら可愛げを感じずにはおられない。極道に惹かれてしまうホステスの気持ちが少しわかった気になったかもしれない。まあもし現実に、そのスジのホンマモンの人に面と向かってそんな言葉遣いされても、可愛げなんて感じる余裕は無いだろうけど。音声で聴いても、酒と煙草で焼け爛れただみ声で聴かされるのであんまり可愛くはないだろう。この可愛げはおそらく、文字媒体でこそ得られるものだ。

原作と映画で異なるのは表現や演出だけでなく、話の構成なども結構入れ替わっていたりする。たとえば日岡が県警監察部から遣わされたスパイだという秘密は原作じゃ最後に明かされる大ネタだが、映画ではわりと序盤で明かされていた。また、映画では大上の死は(ちょっともううろ覚えだけど)だいたい中盤に配置され、そこから怒涛のクライマックスへと突入するが、原作ではその怒涛っぷりは描写されることなく、なんと年表で淡々と起こった事実だけが記録されていく。これまた映画は大胆な改変をしたものだと思う。いや、改変ではないのだ。こうまで物語のパーツを組み替えておきながら、それが描き出すものは同じものであると思える。要は表現媒体によって切り取るべき箇所の違いであり、それはどちらも実に適切に切り取るべき箇所を切り取ったのだろう。
また、年表じゃその後の日岡が着実に経験を積み、広島県警において確固たる地位(安泰ではないだろうが)を築き上げている様子がうかがえ、とても頼もしい。プロローグとエピローグの仕掛けにはあっさりやられてしまった。今後続編において、日岡が大上から受け継いだ”血”を糧にいかなる成長を遂げてそこまで至るのか、映画・原作ともに楽しみだ。

あと、映画では人物関係などに変更が加えられて、おそらくそう深くは描写されていなかった、大上・日岡と料理屋の女将、晶子の関係が実に良いものだった。「同志」と呼ばれたその関係、男女の仲とも、夫婦の仲とも、あるいは家族の仲にも見え、共に闘う仲間のようでもあり、共に庇い合う共犯者のようでもあり。だがどうかと言われたらそのいずれの関係とも言い難く、しかし否定しきるのもまた違うんじゃないかという。確かに、ただ志を同じくしているということだけが言える、それ以外はあえて口にすまい、というような関係は、なんか、ええなっ、と思えるものだった。

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