6/18 『ニンジャスレイヤー ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ(下)』を読んだ
面白かった。
キョート戦争の末路、シルバーキー帰還、シャドウウィーヴとユンコのめぐり逢い、ニチョームの攻防、宿敵スパルタカスとの決着……と見どころが溢れまくっている。上巻だけでもえらいことだったが下巻は輪をかけてえらいことだった。積み重なった因縁や布石やあるいは偶然のあれこれが一気に結集して、決壊したダムめいた怒涛の勢いでもって顕現していく。
とりわけ、「ニチョーム・ウォー」と「フェアウェル・マイ・シャドウ」の画面ならぬ紙面を分割しての同時進行はもう、読んでるだけでこちらも体力をみるみる消費していった。
何でも聞くところによるとツイッター上での連載時には、アカウントを複数用意してタイムライン上でこのリアルタイム性とマルチアングル性を演出したのだそうで、それはぜひ実際に体験してみたかったものだ。さぞお祭り騒ぎだったことだろう。もう少し忍殺に触れるのが早けりゃあと悔やむ。
そしてこの上なく激動たるアマクダリの最も長い一日を締めくくる「ネオサイタマ・プライド」のこの上なく静かなる感動よ。ニンジャスレイヤーは永劫に生滅を繰り返す存在だが、フジキド・ケンジという一人の復讐者はこの時でもってその命運が尽きたとしてもおかしくはなかった。それを辛うじて繋ぎ止めたのが、ネオサイタマの片隅で生きるありふれたサラリマンたちの、儚いながらも確かに息づくささやかな誇りと人情だった。けして大層なものでも立派なものでもない、酒の勢いと日々の鬱憤に後押しされたほんの一時の気の迷いのごとき優しみであっただろうが、それでも、それだからこそフジキドの消えかけた命のローソクに活力の炎を灯したし、ひいてはそれが再び復讐の業火へと燃えさかることをも手助けしたのだろう。
「頑張りなよ、六歳になったらさ、少し楽だぞ」という台詞の切なさったら。フジキドにその「少し楽」になるときなんてもう来ないというのに。それでもフジキドは「ドーモ」と感謝の言葉を述べるのだ。
続く「ローマ・ノン・フイト・ウナ・ディエ」はまた別種の積み重ねの妙を見せてくれたというか、今までネタじみて描写カットされていた古代ローマカラテとその使い手ニンジャとの戦闘を、ここにきてその詳細を明かすとともに古代ローマカラテ最強の使い手であるスパルタカスへの打開策にもつながっていくという、マジでどこまで考えてたんだという構成。いや、マジで、どこまで……「最初から最後まで」とかだったらどうしよう。正気を疑いたくなってしまう。でもあり得なくないのかな。
チャドーの神髄を繙いて新たに獲得した奥義「サツキ」、最初どういうものなのかわからず構えを真似してみたりしてたが、これあれだ、格ゲーの動画で見たことある、あと一撃でももらったら死ぬというところで相手の猛攻を連続でブロックしてカウンター決めて勝つっていう……あれのことだ。あれのことかい。だが一度思い至ればたやすくそのイメージを脳裏に思い浮かべられるのですごい。
それにしてもスパルタカス=サン、ニンジャスレイヤーにもフジキドにも取り立てて縁のある人物というわけではなく、その来歴も詳しくは明かされず、ただべらぼうに強いというのみでここまでニンジャスレイヤーの脅威となっていたというのがまた浪漫(ローマ)であった。詳細など語られるとなったらなったでまた楽しみだが。
多大なる犠牲と状況の変化を被ってなおアマクダリの闇はその色を濃くするが、それも次の最終巻で決着をみることとなる。実のところ最終章あたりからツイッター上での連載を読み始めたので、どういった終わりを迎えるかというのは知っちゃいるんだけども、小さな因果と反抗の積み重ねが寄り集まって大いなる壁を打破しうるというのが今作において描かれてたことである以上、ここまでじっくり各エピソードを読み進めてきたうえで改めて迎える最終章はまた、違った味わいを醸し出してくれることだろう。
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