1/17 『凶犬の眼』を読んだ
映画『孤狼の血』の続編『孤狼の血 LEVEL2』は今作を映画化したものではなかったが、今作のキーパーソン国光寛郎の鋭い眼光、尖った耳といった描写は、映画の鈴木亮平をほうふつとさせる。なので読んでる間はずっと鈴木亮平のイメージで読んでいった。そのお陰というのか何なのか、クライマックス近くまで果たして国光が本当に信頼のおけるヤクザなのかどうか、ハラハラしながら読んでいけた。
結果的には国光は己の仁義を貫く「善いヤクザ」だったのだが……こんな表現、最早どうかと思うを通り越してギャグ言ってんのかと、今の目線からは思うが、平成初期という時代であればギリギリ、スレスレで笑い話にはならないのかな。国光の侠気たっぷりな人柄じたいは肯定的に受け取れるし、「亡くなった人の冥福は祈る」という言葉には感じ入るものがある。話はずれるけど、たとえばニュースなどで胸糞悪くなるような凶悪犯罪の報道を見て、犯人に対し細かいことはいいからもう死刑にしちゃえよと思うことがままあるが、仮にそれで思い通り死刑になったとして、その人の冥福を俺は祈るだろうか、とか。さっさと忘れて仕舞いにするんじゃないか。だったら、死を願う必要もなく忘れてしまう方が手っ取り早い。ただ忘れたいためだけに人の死を願うのなら、自分の欲望や都合で人を殺す奴らとそう大差無い。
話を戻して、しかしいくらそんな昔気質の任侠でも、兄弟盃を交わすまでになるとは驚き。いや、ほんと言うと警察官とヤクザが兄弟になることがどれだけ異例かわからなかったので初見じゃ驚けなかったけど。でもまあ、大上でさえそんな相手はいなかったことを考えれば、異例か。国光はどうして日岡をそこまで信頼したのかな……適当にあしらって利用するだけ利用してしまえばよかったろうに。最初の出会いから気に入っていたような感じはする。ヤクザの宴会に顔突っ込んでくる度胸を見初めたのか。その是非はともかく、兄弟仲になってからの二人のやりとりには、ある種の心地よさとか心強さのようなものが感じられ、これがヤクザの毒であり蜜なんだろう。
ともあれ日岡はこうして、大上の薫陶、国光の義心を受け継ぎ、ようやくいっぱしのデカと言える男になったわけだ。三部作完結となる次巻でどんな生き様を見せてくれるのか。そして国光の最期は、ヤクザものとしてはお馴染みというか宿命とも言えるそれだったけれど、本人としても上等な心持ちだったことだろう。相手は組も潰れてもはや何の得も無いにもかかわらず、誰に言われたわけでもなく自らの仁義を通して親の仇を討ったのだから。自分が殺った相手の冥福を祈るように、自分を殺った相手にも労いの眼差しをくれてやるのだろう。それこそ真に、極道にしか為し得ない凶犬の眼差しだろう。
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