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6/26 『剣樹抄 インヘルノの章』を読んだ

敵の首魁を捕えてなお、陰謀は駆動し続け光國たちはそれを追う。了助が旅先で出会い、目にするものは江戸という世が抱えた歴史、因縁、政治、制度、宗教……1話ごとにどれだけ詰め込んでるんだってくらい様々な要素を盛り込んで展開していく。またそれだけのものを抱え込んでいる江戸という世、この時代の厚みというものを改めて思い知った。なんかもう、江戸時代を太平の世とか二度と言えないな……関ヶ原、大坂冬・夏の陣、島原の乱を経てなお、これだけの火種を抱えているわけだから。
極楽組の正体が切支丹の集団と知るや、武士たちが一気に青ざめていく様子はまた、ある種興味深かった。禁教令やキリシタン弾圧といったものも上っ面くらいは知っているけど、それを弾圧者側からの視点で見たときの、異教徒への畏怖。信ずる神とその教義の為なら死ぬことも厭わない、むしろそれさえ神が与えた試練として喜んで受けるという彼らの精神性に、あの義仙様さえかつて心を蝕まれた。当時の武士たちにとってそれはいかなる恐怖だったのか。ただしかし、命の軽重を言うなら武士だって、主君の暴挙を諫めるために切腹するとか、忠を尽くした主が死ねば追い腹を切るとか、現代人からすれば大差ねえよと思うようなことをしているわけだ。旅を終えた了助が看破したように、お役目を果たさせずに恥を噛みしめることは武士にとって命を奪うよりも苦い屈辱となる。極楽組の連中も、光國も、ある意味じゃその価値観による鬱屈が各々の人生の節々で作用し、此度の事件の舞台を整えていっていた。誰しも己の浸かった湯の温度には無自覚なものだということか。それがぬるま湯だろうが熱湯だろうが、あるいは血の池地獄だろうが……うまくないな。
惜しむらくがあるとすれば、最終決戦でインヘルノなる焙烙玉が登場し、つまりは格好の「ボール」が敵の秘密兵器として出てきたのだから、なるほどここで了助のくじり剣法がフルスイングを見せるわけですな! と思ったのに、そうはならなかったこと。ガワは陶器だというし、打ち返すというのは無理があったか。でもどうにか見たかったな。
師から禅の教えを、そして敵から切支丹の教えを学び糧とした了助が、了助なりの悟りを悟る様子には、感慨を覚えるとともに寂しさもある。罔両子との問答とか、はるか高みのやり取りを見るようだった。いつの間にそんな境地に達したのか。置いてきぼりを食らった気分だ。こっちはまだ丹田呼吸さえままならないってのに。
だがこの物語は最後に陰惨な景色を映すことも忘れない。問答よろしく、了助がいかに己の心の地獄を払ったとしても、地獄そのものがこの世から消えたのではないことを、まさに江戸を地獄の炎に包み込んだ下手人たちの骸をもって示すのだ。生命ある限り、地獄は付き纏う。地獄を前に、極楽組は二度目の生を求め、了助は一つの命を惜しんだ。
かくして江戸を灰燼に帰す壮大な陰謀は幕を閉じた……が、まだまだ了助と拾人衆の活躍が続く余地が、この江戸には、この日本には目いっぱい残っているように思えてならない。『光圀伝』のスピンオフ的な位置付けとして始まったと思われた本シリーズも、今や新感覚大江戸諜報絵巻として確固たる存在感を放ってる。いずれまた見えることを信じて、ひとまず終止符。面白かった。

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