6/7 『友罪』を観た

わかっちゃいたが重苦しくてしんどくなる映画。被害者というものがほぼ描かれず、加害者とその関係者しか登場しない。加害者被害者なんて二分、野暮な単純化でしかないが、あえてその単純化を用いるなら、しかし二分ではあっても等分ではない、と言ったところか。誰もがやがては加害者となっていくしかない辛さがある。佐藤浩市は息子の罪を背負わされるという意味で被害者だったかもしれないが、しかし償いのために「家族」を殺しているという意味ではやはり加害者といえる。夏帆も最後には瑛太を拒絶し、被害者ではい続けられない。街を出ていくときの眼差しは、強いものであったように見えたが、詳細には描かれない。
しかしそれは、ほかならぬ瑛太の「それでも生きたいんだよ」という言葉と対になっているものでもあると思う。生きたいと思い、生きている限り誰かや何かを傷つける定めに、人はあるのかもしれない。しかしそれでも生きたい。
脇役の見どころとしては、清水……だったっけ? 寮のボス猿の兄ちゃん。あまり大っぴらには語られないが彼の自意識の歪み具合もなかなかよかった。ひどいコンプレックスを抱え込んでいて。彼も、きっと生きるために何かを殺さなければいけなかった人なのだろう。たとえば己とか。夢とか。やけに歌上手かったよな。 週刊誌の記事を見た後の「気が滅入るわ」という台詞、単純に100%の拒絶ではなかったようにも思える。新しい棚やテレビに対しても「買ってくれた」と言ってちゃんと使用しているあたり、あの瞬間のあの空間内は、このまま破綻するか持ち直すか、ギリギリどちらにも振れる状態だったように思う。結局、破綻してしまったが。
佐藤浩市の、「罪を犯した人は幸せになれないんですか?」に対する「なれない」というバッサリな受け応えはなかなかきつい。西尾維新好きとしては「なっていいじゃん」というのが僕の所感なんだが、ああもスパンと答えられるとウッとなってしまう。でもそれに対する更なる応えは、しがみつくように「幸せになりたい」と言うことだろう。佐藤浩市が贖罪にしがみついているように。 ただ、あそこちょっとムカついたな。職場の同僚にコーヒーおごってもらうとこ。ふーんそういうささやかな安息なら自分に許すんだ、息子にはあんだけ苛烈を敷いておいて。幸せになれないだのなんだの、それって誰がどこで線引きしてんのよ。しかも少年Aの記事に対して、さも他人事みたいな反応して。結局あんたは罪を背負う気なんてないんだよ、家族を解体したように罪も解体したいだけなんだろ! なんて。観ている時点じゃ、ああ彼にも多少は安息を得られる瞬間があるのだな、と思ったんだけど、後から考えるだにムカついてきた。彼の信念の矛盾が凝縮されていたシーンだったのだろう。
少年院の先生の問題については、抱えすぎだよ……としか言えない。
山本美月については、ちょっとよく分からない。動画をくすねた手段も、いつの間に、て感じでわかんなかったし。生田斗真が編集長殴ろうとしたときに何か叫んで止めさせたけど、それもよく聞き取れず。いまいちどういう役割だったのか不明。原作を読めばわかるだろうか。
最後、どちらがどちらに会いに行ったのか。それとも誰もいやしなかったのか。単純に好みの問題で、見せて欲しくはあった。スッキリしないので。まあスッキリさせないために見せなかったのかもだが。

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