12/9 太宰治『人間失格』を読んだ

面白かった。
読めば誰もが「これは俺のことを書いている」と思う作家筆頭こと太宰治、ちゃんと読むのは初めてだけど初めてでもちゃんとそういう箇所が俺にもあった。「自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです」あたりなんかがまさにそれ。そうした共感ポイントが随所に差し挟まれてるおかげもあってか、慣れない文体ながら比較的すんなり読み進められた。
主人公の葉蔵はどこにあってもモテたり人気者だったり優秀と見なされたりしているが、やりたくてやってるわけでなくしょうがないからやるみたいな感じでやり、大した苦労もなくできてしまうからやりがいもない。葉蔵は基本人に逆らわず、他人の欲するものをよく察し、それに何一つ共感しなくても、求めに応じた振る舞いをしてのける。なんか宮沢賢治のあの有名ななりたい人間像にちょっと近いよな……心がこもってないだけで。内心くだらないと思ってることでトントン拍子にうまく運んでしまうからそんな人生そのものに愛着が持てず、こんなことで満足しているまわりの人間達にも不信しかなくなるわけだろうか。
人間関係や社会の有り様に苦悩・苦戦しつつ、ただ苦悩しない部分ではうまくいっているように見えるこの感じ、何かに似てるとおもったら、SFとかにおけるディストピアのそれだった。ディストピアとは「苦悩しつつ、生存する場所」である、という俺独自の解釈に基づいてではあるが、葉蔵にとって世界はディストピアで、世界にとって葉蔵は人間失格であったのではないかと思う。
物語以外の部分で、この時代の作品とか読むことはあんまりないのでそのへんで「へー、こういう表現ってもうこの頃にはあったんだ」みたいな発見もあって楽しかった。一文にまるまる読点のルビ振って強調させるやつとか。

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