11/12 『二千七百の夏と冬(下)』を読んだ

面白かった。
上巻の恐怖の引きからの、キンクムゥと戦う前半。決戦のシーンは実に手に汗握る緊迫感に満ち溢れ、エキサイトした。もしかして最後までこの大獣との決着を引っ張るのかなとも思っていたが、一気にカタを着けてしまったので驚いた。本当に一人で倒しちゃったよ。パないぜ縄文人。
しかし、キンクムゥを倒してから物語は様相を変えてくる。思うにここで主人公ウルクは少年から男へと成長を遂げたということなのだろう。少年の成長譚から、異文化との接触、そして恋の物語へと。故郷を追いやられ、父からの因縁があるキンクムゥも倒し、上巻で築いてきた少年としての来歴を全て手放し、ひとりの縄文人の男として、弥生人という新たなる時代に立ち向かっていくのだった。
弥生人たちの気質が「真面目でみんな働き者、上下関係に厳しく、ただしひとりひとりの意思は薄弱で周りに流されやすい」と、今の日本人がいかにも言われそうなイメージそのままなのが少し面白い。日本人の美質と言われているものも実は渡来した弥生人のもんでしたよ、みたいな。皮肉なのかな。
ただその気質は、コーミーという、素晴らしい恵みをもたらしてくれるけどそれなりにお世話も大変な農作物を、しっかり効率よく育むために形成された気質であるように描かれていたと思う。縄文人たちがコーミーを手にしても、夢見てたような恵みは手に入らないんだよというような。人が食をつくり、食が人をつくるのだな。
一方、現代パートは、結局あんまり古代と絡むわけでもなかったのがちょっとだけ物足りなさはあった。終盤に行くほど頻繁に時代を行き来するが、別に物語がリンクしてるのでもないし。もしかして発掘された二つの古人骨は、ウルクとカヒィのものかと思いきやミスディレクションで……みたいなことも期待したりしたが空振った。でも「歴史をつくっているのは政治や経済じゃない。歴史は恋がつくっているのだ」という台詞はなかなか響いた。言うねえ。
最後のシーンはよかった。現代パートであのように示されている以上、ウルクとカヒィの末路が幸福なものではないとはわかっていたし、じっさい悲しい結末であったけれど、その想いは二千七百年を経てなお朽ちず、そこに生きる人々に影響を及ぼした。まさに、政治的・経済的な策謀は常に世に蔓延れど残りはせず、恋だけが歴史を渡って消えることなく残り続けている。

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