『追憶』と『メッセージ』を観た

9時半起床。

休日。今日はもう映画を観に行くことを決めていた。『追憶』と『メッセージ』の2本を観る。
ほんとはもう1本、『ムーンライト』も観ようと思っていた。1日に3本見るという未体験の領域に挑戦するつもりだった。ただ9時半に起きた時点で既に上映が始まっておりちょっともう無理だった。スケジュール的にもう映画館で観ることは敵わない。まあいつか機会が巡ってきたならば……いずれ。

そして観てきた。まずは『追憶』。面白かった。重くて面白かった。つまり重白かった。岡田准一、小栗旬、柄本佑の3人の男達が織りなすドラマ。冒頭、その3人の子ども時代が描かれるんだけど、岡田准一の子ども時代役の子役が雰囲気や喋り方なんかが小栗旬っぽくて、それでちょっと混乱した。
3人の子ども時代の衝撃的な一事件が描かれて、そこから25年の月日が流れるが、3人はその後も苦難に満ちたであろう人生を歩んで、うち2人は現在進行形で苦難に呑まれている。きついわ~。しかもそれが次々と、波濤のように立て続けに押し寄せてくる。その苦痛に耐える岡田准一の顔がまた、たまらん。去年観た『64』でも苦痛に苛まれる佐藤浩市にたまらんと感じていたし、どうも俺は邦画に対して「男前が胃壁をガリガリ削られるのに耐える顔」を求めているような気がする。最近よく映画を観るようになって感性とか鍛えられるかと思ったら、そんな性癖を発見することになろうとは……。
子どもという存在にありったけの希望を込めているのだが、それが大人になると、かつて確かに輝かしかった筈の思い出が今の自分を苦しめていく呪いのようなものになる。輝きはくすむ一方で、ひたすら錆びついていくのだ。思い返してみてようやく、不思議な映画だと思う。なんらかの逆転劇とかいったものはなく、とても一方的だった。それでも頑張って耐えていかなきゃな、という映画。

つづいて『メッセージ』。ファースト・コンタクトもののSF。そして言語学SF。
言語学については大学時代、親のすねをがぶがぶかじりながら余った歯でちょりちょりとかじったことがあるのでこちらも面白く観れた。サピア=ウォーフとかカンガルーとかいう単語が出てきたときはだいぶ盛り上がった。
観ながら、数年前に数年かけて読んだ、ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、空も違って見えるわけ』という本のことを思い出してた。ただあの本では、作中のSF真実に関しては否定的な態度であった気もするけど。
作中の架空言語のデザインは、日本の水墨画とかからインスピレーション得たみたいな監督の言葉を見かけたけど、いやあれ絶対イカスミでしょ。イカスミ語だよ。

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