8/12 『ぼぎわんが、来る』を読んだ

面白かった。
映画は以前に観ていて(https://note.com/moderatdrei/n/n2e86368e5121?magazine_key=m6b55d01ef2d8)、面白かったので原作も読んでみたかった。原作は映画といろいろ違う点も多いと聞いていたが、なるほど確かにいろいろ違う。クライマックスの対決シーンが顕著だけど、キャラクターなどもちょこちょこ手が入っており、けれど話の大筋などはそう変わっていないのがすごいところ。小説の小説ならではの面白さのある「小説映え」した部分は削り、代わりに「映画映え」するような演出を盛り込んだというか。これが換骨奪胎というやつかしら。比嘉琴子が原作では真琴より小柄であるというのには衝撃だった。映画を先に観ていたから「どっちもアリだな」と思えたけど、先に原作を読んでいたらちょっと思うところあったかもしれない。
だが実のところ原作と映画で一番キャラクターに差があるのは、秀樹の友人の唐草(映画では津田)だったのではないか。映画じゃ上辺では秀樹と親しくしているが裏では軽蔑しており、うまく利用しておこぼれにあずかるようなワルだったけど、原作では少なくとも再会するまではちゃんと友人だと思っていたし、香奈を寝取るほどのこともしていない。というか香奈に「気がある」と言われていたのも実際のところ本気かどうかちょっと怪しいと俺は思う。もしかして彼は秀樹を犠牲に生き延びた香奈と知紗を逆恨みしていたのではないか。久々に再会した友人が自分の一番嫌いな人種になり下がっていて、しかし自分に助けを求めてきて、協力する。だが助けられず、そればかりかあまりにも無惨な死を迎えてしまう。だというのに秀樹が命を賭して守ったその妻は、娘にばかりかまけて、悲しむ素振りも見せない。まるで秀樹が死んでせいせいしているかのよう、その娘は秀樹がいなければ生まれてこなかったというのに……なんて妄想をたくましくしてしまう。
そして映画でも原作でも同様に哀れだったのが秀樹の部下の高梨。マジでほとんど何の関わりもないのに巻き込まれて可哀想。ホラーって地方に伝わる因習だの綿々と受け継がれてきた伝承だので権威を纏ってくる癖に、こういう演出面では平気で理不尽かつ無節操に無辜の人間に被害与えてきやがる。
原作ではぼぎわんの正体について詳しく語られていたけれど、それでもまだ謎は残っている。あえて残しているのか、完全に解明できないことこそ怪異のアイデンティティなのかもとも思うが、あのぼぎわんの口の奥あたりで呻くようにしゃべるしわがれた声なんかは特に謎だ。ぼぎわんの意思とはちょっと離れたところにあるような、「あいとるやろ」とかいうのは、まるで忠告していたようにも聞こえた。
映画と大きく異なる最終対決のシーンは、ひとえに琴子の猛者描写がすさまじく、まるで今までとは別作品だった。映画というよりもむしろマンガ的。こういう外連味も用意してくれるのなら、苦手なホラーでも続きを追ってみたくなった。

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