環境問題は礼儀の話

生まれて初めて蛍を見た。

湿原だった場所に放流されて、大人になった蛍だ。

蛍が住むにはきれいな環境が必要だ。

ただ川のある場所に幼虫を放せばいいというわけではない。

そのために広大な土地をきれいにし、その状態を保つ必要がある。

そうして尊い存在として大事にされて育った蛍が光ると、大人も子供も声をひそめて集まり、指をさす。

「こっちこっち!」「光ったよ!」「見えた?」「あのみどりいろの」

蛍のために用意された環境だが、他の多くの虫や動物や植物が恩恵を受けている。


小学校のころ、環境問題について学習した時に、あまりに途方もない問題だと感じ、子供ながらに絶望した。

私が大人になるころにはもっと状況は悪くなるだろうし、気を付けても気を付けても無意味だと感じた。

思考は飛躍し、「人類が滅亡すればいいのにな」と思っていた。

心からそう願ったが、滅亡は実現せず、環境問題は一向に解決されないまま15年経ってしまった。


蛍を放流し、保護している人は「一度たりとも手を抜かなかったから、今年も蛍が見られるんです。これから先もずっと、いまの子供たちが引き継いでいってほしい。命は一度絶えると元にもどらないから」と話していた。

そこにある命を守ろうという考えは、ともすればすぐに人間のエゴに負けてしまう。

しかし蛍はそこで光っていた。

思いが集まって力になれば、人類は滅亡しなくても他の生命と共存できるんだなと思った。

人間だけが特別地球を汚していいと思うことがそもそも自己中心的だ。

昔から仲のいい友達に連絡をとるように、地球を気遣って生きていかなければ、人類は本当に滅亡してしまう。

さんざんひどいことをしてきて、自分に不利益が降りかかってきてから謝っても遅いのだ。

地球に対する礼儀をわきまえた方がいい。

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