編む

新宿方丈記・12「編む」

去年からずっと編んでいる靴下が、まだ編み上がらない。まあ、気が向いた時に2、3段ずつちょこっと編むだけなのだから、進まなくて当然である。子供の頃からお裁縫の類は苦手…というより嫌いなのだ。自分の作った人形に服を着せるために、やるときはやるのだけれど、好き嫌いで言ったら嫌いなのだ、どうしても。それが不思議と編み物は昔から嫌いじゃなくて、だからって大したものも編めないのだけれど、細々と続けている。編み物の何がいいってやり直しがきくところ。裁断したら元には戻せない布と違って、毛糸は編んだり解いたり切ったり繋げたり、結構何だって出来るのだ。落とした目に気付いたら途中からでも引っ張ってこれるし、嫌になったら全部解いて毛糸玉に戻すことだって出来る。そこがよろしい。

ところがせっせと編まないと形にならないのも確か。裁縫はバラバラのパーツをつなぎ合わせれば形になっていくけれど、編み物は一目でも編まないと糸のままだ。でもそこが好きなのかもしれないな。裁縫ができる人は、決断力のある人だと思う。私は躊躇なく布に鋏を入れられない。足りなかったらどうしようと悩んで、大抵大きめに裁断して、後で調整する羽目になる。ジャストサイズにビシッと裁断できたらどんなにかいいだろうと思いながら、やっぱり毎回躊躇する。無理。その点編み物は全く恐れることなく、たとえ失敗してもさっさと切り替えてやり直す。多少のことはどうになかなる。なんか自分の人生みたいで笑えてくるが、本当にそうなのだ。編んだ分が一目一目、形になって残っていくところも好きだ。編み図はまるで設計図だし、理系の思考が必要かと思われるのに、なぜか私の頭でも納得して何とか理解できるところも嬉しいし。それに編み物に集中してると、いろんなことをグタグタ考えているようで実は無心になっていて、細かいことやってるのに気分転換になるのが不思議なのだ。

一目一目編むようにして、毎日生きている。たまに色を変えたり、模様編みがあったりするけれど、概ね地道に一目ずつ淡々と生きている。まあ、私はしょっちゅう目を落としたり、無理やり引っ張ったりしていると思われるけれど。毛糸を編む。人生を編む。さて、とりあえず今月中に靴下は完成するだろうか。はやくしないと、本格的に春が来てしまうぞ。


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