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新宿方丈記・14「身のほどを知る」

自分の身のほどを知るということ。それも「正しく、正確に」知るということは、実は難しいことなのだ。簡単にいうと、自分に何が出来て、何が出来ないか、だけでもいい。それをきちんと理解できている人は、冷静な人だと思う。ついつい自分を甘やかしたり過信したりして、実力以上の理想の自分と、現実がごっちゃになってしまっている人。また、日本人にありがちな、必要以上の謙遜で、自分のポテンシャルに蓋をしてしまっている人。自分も含めて、ほとんどの人がそうではないだろうか。本当の意味で自分の身のほどをわきまえている人なんて、ほんの一握りな気がする。でもそれは、とても重要なことであるのに。

例えば仕事をしていてよく出くわすのは、「やったことがある」と「出来る」をイコールにしている人。やったことがあっても、(一部の本当に出来る人を除いて)それは「出来る」とは違う。また逆に「これ、出来ますか?」と聞かれて、「いえいえ、自分なんて大して」みたいに答えてしまう人。一見奥ゆかしいように見えても、これ、やったことがある=出来る、の人と何ら変わらない。どちらも同じくらい、相手に迷惑をかけていることに気付くべきなのだ。自分に何が出来て何が出来ないか、一番よくわかっているのは自分のはず。ありのまま答えるのが正解だ。「〇〇は出来るけれどこれはできない。ただこれから習得できると思う」とか「何回かやったことはあるけれど、一人で完全にやれるほどは慣れていません」でもいい。自分の力量が微妙ならば、微妙であることをきちんと伝えればいい。それだけで、スムーズに物事が回るのではないだろうか。たまたま仕事を例に出したけれど、日常の中で同じような場面は多々あるはず。自分がはっきり断言できるくらい、完璧に理解できている自分の身のほどならば、自信を持っていいと思う。そのためには、確固たる裏付けが(自分の中で)必要だけれど。それがあるならば大丈夫。人から身のほど知らずなんて思われたって、全然怖くない。ただし自分の物差しが正しいか、世間からずれていないかを、常日頃から怠らずに確認しておくこと。空気が読めない人にならないために。そう、空気が読めるというのは、身のほどをわきまえている人の重要なポイントなのだ。

自分の身のほどを知るということ。それだけで随分生きるのが楽になる。人の中を泳いで行く時、自分に一番適切なコースが、目の前にすーっと伸びているはずだから。






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