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わが家の不登校① 昭和生まれの小学生の場合

わが家には不登校経験者が3人います。私、息子、娘です。現在も娘は不登校中ですね。

順番にこちらでも不登校について書いてみようと思っています。まず今日は、古い話で恐縮ですが、私の小学生時代の不登校経験について。


私は小学校3年の時に不登校状態になりました。あの頃は、登校拒否、と言われてましたよね。全く行かなかったわけではなく、休みが多い、遅刻早退も多い、という感じだった気がします。

そもそも当時全く行かないとか、なかなかに無理でしたからね。

私が不登校になったのは、担任の先生が苦手だったからでした。
おじいちゃん先生で、怒ると怒鳴る先生でした。私は、当時男性全てが怖かったので、担任が初めて男性だった時点でかなり怯えていたのを覚えています。

私は、場の空気を感じ取る力が強く、しかも物凄く静かな子供だったので、当然怒られるなんてあり得なかったです。
でも、クラスの他の男子が怒られるのを見るのも聞くのもつらくて苦しくて、こわくなり学校に行けなくなりました。

朝になると微熱があり、身体が動かないのです。しょっちゅう微熱がでて、その度親のことを困らせていたと思います。


正直、その時のやりとりなどは昔すぎて覚えてないですが、その当時のことでトラウマになったことがありました。

当時、体調が悪くなって小学校の保健室で休むことも多かったのですが、ある時、熱を計るように言われて体温計を渡されるので計っていたら、保健室の先生がこう呟きました。
「体温計、そっちで計ると高くでるのよ」
私は左利きなので、逆で計るのが自然だったんです。右脇で計る感じですかね。

それをみて、保健室の先生にこう言われた瞬間に、
「この人は私を信じてない」
とはっきり感じ取りました。私が学校をさぼりたくて無理やり熱を上げていると。
そして多分、よく私が保健室に来るのが迷惑なんだと。

あの日以来、元々あまり人を信じてない子供だった私は、いっそう大人を信じなくなりました。
大人を嫌うようになりました。

あの頃の他のことはあまり覚えてないのに、その言葉だけははっきり残っています。


小学生時代は、そんな調子でしょっちゅう体調が悪かったので、親も心配して病院に連れていかれることもよくありました。

そんな時にもまた、お医者さんが、
面倒くさそうな顔で(もしくは呆れた顔で)
「まあ、自律神経失調症でしょう」
と必ず言いました。
この病名を出したら、もううちでは何も診られませんよ、みたいな感じの言い方で。

当時はまだ気持ちの病は全然病名が揃っていなくて、自律神経失調症くらいしかなかったんですよね。

その呆れ顔でお医者さんにこの病名を告げられる度に、我慢が足りない子供だ、とか、情けない子供だ、とか言われている気がして、また私はいっそう殻に閉じこもるようになりました。


私の不登校自体は、4年生になることで終わりました。体調不良はずっと続いたので、よく休んではいましたが。

私の場合は、そもそも小学校時代すべてが闇で、全く楽しくなかったので、不登校はいつでもなり得る状態でしたね。

むしろ3年以外行けていたのは、私が無理をしていただけでした。機械のように学校に行って、殆ど何も話さないで帰ったりしていたくらいなので。
不登校が許されない時代だったので、心を無にする能力を身につけるしかなかったのでしょうね。

また、小学校時代のお話も、書いてみたいと思います。
以上、昭和の不登校(登校拒否)のお話でした。



ちなみに、私の子供の頃の夢は、とにかく早く大人になりたい!でした。
大人は信用できない、でも子供だと馬鹿にされるし無力だ=早く大人になりたい!
という考えでした。だいぶ病んでますねえ。

自分の体験談で恐縮ですが、子供にとって、どれだけ大人の心無いひと言が心に深い傷をつけるのか、その子の人生の価値観につながってしまうのか、が伝わるお話かなと思います。
すべての子供に愛ある言葉をかけていきたいですね♡

では、最後まで読んでいただきありがとうございます(*^。^*)





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