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イギリス帰り・カルチャーショックリハビリ日記

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1998年から2002年までイギリスに住んでいた私。その翌年に書かれたカルチャーショックリハビリ日記を中心に、ときどき思い出話を追加します。
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2014年10月の記事一覧

カルチャーショックリハビリ日記その3「ババァで悪かったわねっ!」(2003)

日本とイギリスの違いを語るのに避けて通れない話題がある。それは「年齢」だ。恥をしのんで告白すると、私は34歳になったばかり。イギリスには29から33までいたので、そこで30の大台に乗ったのだ。ちなみに、イギリス人も三十代になるということには抵抗があるのか、big three-o(ビッグ・スリー・オー)という表現を使う。   私が帰国してまずブチ当たったのが年齢の壁である。仕事を探すべく求人誌など買いあさってみたが、必ずといっていいほど年齢の制限がある。「30歳位」まで、の「

カルチャーショックリハビリ日記その2「『無くても死なないもの』に埋もれて」(2003)

在英中の私の口癖は「金がない」であった。 日本でこしらえた貯金もすぐ底をついた。イギリスにおいてEU(ヨーロピアン・ユニオン)以外の外国人学生は、週20時間を上限に働くことを許されているが、それでもらえる給料などたかが知れている。私の場合、給料は日本円にして月8万いくら。その大半が家賃と交通費に消え、残り少々を食費や雑貨に回すわけだが、毎月赤字だった。  そう言う生活の中での私のポリシー、それは「無くても死なないものに金を使わない」。その定義は人によって違うと思うが、私の

カルチャーショックリハビリ日記その1「慇懃無礼と言うなかれ」(2003)

★ プロフィール ★ポル子 – 1998年、7年間の社会人生活ののち渡英。学生として4年4ヶ月ロンドンに暮らし、その間英語、アート、コンピュータなどを勉強しつつ、清く貧しく美しく暮らす。ついに観念して2002年10月に帰国。現在北海道在住。  - 2002年10月15日 帰国 -   私が帰国したその日は、奇しくも北朝鮮拉致被害者の皆さんが羽田に降り立った日でもある。24年間彼らはずっとかの国にいたのに対し、私はこの4年間に3回も一時帰国をしているのだから、私にはカルチャ