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In the Lap of the Gods

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すべては神のみぞ知る。もし、神がいるのなら。では、私はなぜ、ここにいるのだろう?と、哲学っぽく攻めてみたが、言いたいことなど、大してない。
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過去記事を有料化した理由を説明させてください(2023/3/8追記 加筆修正あり)←で、これも有料化する

いろいろと騒ぎましたが自分が消耗する一方で、これ以上戦う気力もないので、この文章も有料化して、一旦隠すことにします。 もちろんお支払いいただければお読みいただけるのですが、実際読まれたくないので高額にしておきます。 目に触れる形での記録だけは残したいのでこのような措置にしました。 以下本文です↓

¥10,000

天職を探し求めるなんて時間の無駄だったのかな

50代、女性、結婚歴もなく、子供もいない独身。パートタイムの事務職やってます。 介護が必要な高齢の親と同居中。 仕事のある日は朝6時に起きて、お弁当を作りながら、自分と母の朝食を用意しながら、新聞を読みながら、身支度をしながら顔を塗装して出勤します。 帰宅すれば洗濯や夕食の支度をして、デイサービスから帰ってくる母を待ち、夕刊を読みながら夕食を済ませ、ぼんやりしているうちに眠くなるので寝ます。 この2カ月、こんな感じ。7月に就職したので。 まずはかんたんに、前の仕事を辞めた

¥300

英語との取り組み方を変える――「翻訳」から「英会話」へ――ついでにフランス語も始めました

翻訳の仕事を廃業して、5カ月近くになります。 もちろんですが、その後翻訳の仕事は一切していません。 未練も後悔もないのですが、翻訳者として活躍されているみなさんの姿を拝見すると、心がちくっと痛みます。 「私は逃げたんだよな」と。 あれだけ「私は翻訳をやっていくんだ!」と、いろんなものに投資したり(ツールとか辞書とか)、あちこちのセミナーに参加したり、自分なりにがんばっていたのに、やめたとたん付き物が落ちたように執着がなくなりました。 これでいいのだ。 バカボンのパパの声

もしも私が再びイギリスを訪れることができたなら

最後の渡英は2014年、ケイト・ブッシュのライブ参戦を目的としたものだった。 しかし、交通費をケチって歩きすぎて、足の裏はマメが潰れて血みどろ。その日は2万歩歩いていた。 それに、著しい体力の衰えも感じた。当時40代半ば。テムズ川を眺めながら「もうこれで最後かも…」と思ってしまった。 いやん、そんなの寂しい! ということで、昼食後満腹になり、まどろみつつも心の赴くまま、いつ実行されるかはわからないイギリス旅行プランを書いてみることにしました。 最低でも半年私は日本国籍だ

【動画リンクあり】表現の難しさを身に染みて知った一年でしたといいつつ無様な私を見にきてねという長い話【終わったけどな】

去年5月から今月まで、札幌のThink Schoolというところでアートを学びました。 なんでアートを?と思われそうですが、実は20年ほど前、エゲレス留学時代に大学の美術学部に合格したにもかかわらず授業料も捻出できず家庭の事情も発生して断念したという過去へのリベンジを果たすという、非常にネガティブな動機からでした。 今から日本で美大に行くとしても、鉛筆一本で白黒写真みたいな絵が描けないと入れないくらいハードルが高いし、通信制だってあるけど、2年から学士入学したとしても3年で終

五十(+α)にして天命を知る

自分の人生が何のためにあるか。 たぶん、自分が何物でもないということを受け入れて、ただ働き、食べて、平和に寝て暮らすことのためにあるのだと思う。 「これで私は一生食べていくんだ」と信じていた仕事を、昨年末で辞めた。 その力がないことに気づいてしまったから。 「やりたい」と思っていたことがいつしか「やらなければならないこと」になり、それで苦しむようになっていたと、私は気づいていなかった。 病院のベッドで3カ月暮らし、私は「やらなければならないこと」をひとつ、手放す決心

デュラン・デュラン、ロジャー・テイラー様のお誕生日に寄せて

61歳のお誕生日を本日迎えられました。誠におめでとうございます。 私がギャアギャア言っていたのは彼が20代半ばくらいだったので(あえて私の年齢は言うまい)、時の流れは速いなあとシミジミ。 さて、かれこれ3年前に書いた駄文をまたご紹介いただきましたので、宣伝を。 このサムネだと、一番左のリーゼントっぽいステキなお兄さんですよ♡ 彼は、本当に私の人生を変えてしまったんです。 詳しくは上記リンクをチェキラ!

NOプランで始まり、NOオチで終わる、そいつがnoteの書き方

私の生き方も、大体こんなもんかもしれない。 noteを始めたのは、「こんな新しいプラットフォームがあるよ」という話を聞いて、とりあえずアカウントを作ってみるか、という軽い動機から。 (だから結構古参なんですよ。2014年が最初の投稿でした) 今はブログをやっておらず、Twitterでわめきまくり、Instagramで荒ぶる日々。 noteには、衝動的に長い文章を書きたくなったときに来ています。 なので、大体が一時のひらめきと勢い。突っ走って強引にオチに持っていく。そいつ

にわかJリーグギャルが今でも忘れられないワンシーン(or two)

オーレー、オレオレオレー♪ という歌が日本中を駆け巡った時期があった。 90年代のことだ。 20代の私は運動音痴で、スポーツにもまったく興味がなかったのだが、気づいたらサッカー場にいて、緑色の旗を振っていた。 ヴェルディ川崎(当時)の北澤豪に惚れていたのだ。 そもそも何が始まりかはよく覚えていないが、当時の同僚にサッカー好きがいて、彼に誘われて最初にサッカーを見に行ったのか、それともテレビで北澤を見て「ロン毛!」と反応してすぐ好きになったのか。まあ両方だろう。 ※当時

いつの海だか。さて、コラムが掲載されましたが告知を忘れていました

お久しぶりね Noteに書くなんて あれから 2カ月 たったのかしら というわけで、数少ないファンの皆さんに忘れられないよう、マーキングしにきました~。 年末から年始にかけて、Re:minderさまにコラムを2点ほど掲載していただきましたのでお知らせします。 奇しくもこの2点、自叙伝つながり。 ひとつめは山口百恵さんに関するものです。小学校のとき大ファンだったんだ~。 赤裸々! 山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」についてちらっと書きました。 申し訳ございません、タイト

中途半端なゲーマーへの道~テレビテニスからドラクエへ~

今の自分を考えてみると、ほとんどと言っていいほどゲームの類いをやっていない。 でもたった一つ、「ドラクエウォーク」だけはここ一年あまり続いている。 しかもほとんど家の中でやっている。ぜんぜんウォークしないし、パケ代を浮かせたいのでWi-Fiの使えるところでしか動作しない設定にしている。 それに、これ以上は老眼がついていけないのでプレイを控えているのだ。 それでも若いころは結構いろんなゲームで遊んだものだ。 うんと若いころに遡ると、小学校1年生くらいになろうか、国産第1号の

「撮りフェス in 室蘭 2020」エントリーしてまっす

お久しぶりっこ ぶるぶるぶりっこ あなたが大好きルンルンルン♪ 年代をばらすところから始まった今回の投稿でございます。 さて、タイトルにあります「撮りフェス in 室蘭 2020」とはなんぞや?とおっしゃる方のために。 お察しの通り、北海道の室蘭市で写真撮って応募せい!というものです。 実はワタクシ、生まれは首都圏なのですが(これ、使えるな…東京都じゃないけどな…)、3歳から18歳までをこの室蘭で過ごしました。 今はもう家もありませんし、家族もいっしょにS幌市(略す

ロンドンのレコード屋で聞いたビタースウィートなシンフォニーの話

※改題しました 何度もここでお話している通り、わたしはイギリスが大好きです。 1989年に語学研修ツアーで訪れて以来病みつきになり、その後2回観光で渡英した後、学生としてビザをとって、1998年から4年間英国に滞在しました。 ですが、今回のお話は、1997年に観光で渡英したときのことなんです。 わたしはとあるレコード屋さんに赴きました。 ラフトレード(Rough Trade)といえば、インディーズ音楽ファンなら「ぬおおおおお!」と反応すること間違いなしの、伝説のレコード