役員と個人の間に

大手の役員と零細企業の役員は全く違う。全く違うけれど、初めて経験した時は全てがごちゃごちゃである。現場をこなしながら、社員とは違う観点で動くと言うことがなかなか難しい。

特に弊社の場合は私の親が1代で築いたのでカリスマ性や独自ルールが大変多い。大手や学校法人を経験してきた自分から言えば、「?」となることも多数である。

世間の・自分の理想の・親が作ってきた現場の・社員の都合の…本当に会社とは日々混沌としている。

私の性格は誰かの役にたつととても幸せになるので、自分の親の会社なのでのめりこみがひどい。けれど仕事をするうちに自分の理想と、親の理想との違いが見えてきてここが生き方や、将来会社を継いだ場合のターニングポイントになるのだろうなと思っている。 ハラスメントや福利厚生について、思うことも多い。

私は実は7年前にいちどクビになっている。その時は自分のやる気が評価されなかったり、両親を見返す仕事についてやる、というようないささか幼い気持ちもあった。

けれど私なりに世間を見て自分の親の仕事はやっぱり素晴らしいし、組織としては未熟ではあるけれど私が何か貢献できることがあると思ってここにいる。

ただ忘れてはいけない事は、自分のことを投げ出さないと言うことだ。

私事だが、仕事に邁進し続けてようやっと7年ぶりにまた文章を書き始めた。けれどリハビリで書いたつもりの作品はあっさり落選。

当たり前とはいえども好きであってきた世界でたいした評価もなく、それでも忘れられなかった世界。

多少お金をもらったり評価を受けたことがあったけれど、それが仕事になるとはちょっと別である。

お金になる・自己肯定が満たされるほど評価される・これは全く別である。

仕事も自分の夢も半端である。世間でいっぱしのの大人でありそれなりに評価されていても自分が納得しなければ意味がない。

役員の仕事もそれなりに試みることがあった上で軌道修正をしなければならない。

誰のために働くのか、誰のために生きるのか。性格から自分が後回しになってしまうが私の人生後半は自分のために生きたと言える時間を増やすこと。家族の為でもなく、会社のためでもなく。

少し仕事はトーンダウンして、子供の時から好きだった憧れていた工芸の体験や、時間がなくてできなかった趣味を少しずつやっていきたい。何か自分を納得させる評価を得るためではなく、社会のためではなく、ただ純粋に自分が幸せになることを後回しにしてきたツケが今ここにある。

文章を書くことだって長らく自分が楽しくて楽しくて仕方がなかっただけだった。そのためだけに生きてきた時間が長すぎて、ほかのことが全部未経験である。

仕事がトーンダウンして、時間ができたら文章と同じ位熱くなれる、そして一生やっていきたいと思う世界があるかもしれない。

親の理想と自分の理想が仕事の上で若干違うことを目の当たりにして、思わぬところで自分の時間が戻ってきそうだ。

最近夫に勧められて読んでいるのは、レベッカ ソルニット の「ウォークス」 一回り以上年齢が違う彼女の自分や世間や、社会への関わり方が何か私にヒントをくれるかもしれない。

読むべき時に読む本が訪れると言うことがあるのでゆっくり読んでみようと思う。

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