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「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」 カトリーン・マルサル 高橋璃子 訳 河出書房新書 -------------------------

食べなきゃ働けないのだ。
研究するのももちろんそうである。

まずタイトルの付け方がうまい。
何かを成し得たり歴史に残った人物もみな、食事をしてきたわけだ。

その食事は誰が作ってきたのか。考えたり働いたり研究する人の健康管理は誰がしてきたのか?

フェミニズムを喚起するのはやっぱり女性なのである。女性らしい切り口である。 


60ページ
「経済から排除されたもののおかげで、経済人を経済人でいられる。それを視界から排除したおかげで、世の中全て経済などだと主張できる」

94ページ
「フェミニズムとは女性がパイの分け前にあずかろうと言うことではなく、まったく新しいパイを焼くための運動だ、とグロリア・スタイネムは言った。でも、そう簡単にはいかなかった。私たちの社会がやってきたのは、せいぜい女性を加えてかき混ぜる事だった。」

95ページ
「新しい女性とは、ペニスのついた女性の事ではなかったはずだ。」
「西洋で推し進められた女性の解放は、やるべきタスクをどんどん増やし、一歩踏み出す野心のリストになってしまった。本当はもっと、いろいろな種類の自由が得られるはずだったのに。」

145ページ
オスカー・ワイルドは皮肉屋のことを「あらゆる物の値段を知っているが、その価値を知らない」人だと言ったが、結局のところ価値を決めるのは需要と供給である。


いくつも心動かされるフレーズがあった。

本の目的通りすべては文献と照らし合わせ問題提起で終わっている。

そこが冗長であったり若干扇情的であったりするが、なるほど様々な観点から経済学それ自体に非常にバイアスがかかっていると知ることができた。

経済は人の弱さを忘れさせてくれるものであると。それが必要でない人は、本当に幸せな人であろう。

「身体があることで人は依存を知り、欠乏を知る」という一文はとてもよく纏まっている。何ページか忘れた…

自立した女と言うものが実は非常に仕組まれたいき方であったと言うことがよくわかった。

何かに特化した生き方と言うのは効率的ではあるが、生物としてはバランスが悪いのだ。

仕事とプライベートを混同せずに生きていく大事さを思い出す。

女であることがアンバランスであると思うこと自体も私の中にバイアスがある。

不安定であることや揺れ幅が大きな事は経済から見てNGであっても人生から見れば彩りが豊かだと言うことだ。

楽しみですらある女の体と仕組み、長い目で緩やかに見ていこう。そして本書の指摘通りに生きにくいこの世の中、できるだけ違和感を感じた際は話し合っていきたいと思う。それができる環境にいると思っている。


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