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1984の身体性

読了ならぬ聴了。
もとよりディストピア小説に興味は全くなく、Audibleで聞けなければ一生涯、縁はなかったと思う。

有限な時間を使って、なぜ暗く辛い文学を読まなければならないのか?

そういう考えなので、あくまでも好奇心から聞き始めたに過ぎなかった。

結論から先に述べると、文章を書くサイドからであれば、こういう締めくくりになるのは予測できた。

ただ、読者としては主人公が感じた自由を、人間の尊厳をどのように具現化していくのか、素直に期待していた。わかっていてももしかして…と思わせるリズムが素晴らしい。

全編を通して感じていたこと。それは、瑞々しさだった。

ディストピア小説とは、その方向性から文章の地合が殺伐として感情を相容れないものなのかと想像していたけれど、ジョージ オーウェルは違った。スペインで命をかけて戦って、政治的な主張が変わるだけあって五臓六腑からストレートに繰り出す言葉の選び方がストレートだった。迷いがない。今し方かいた汗のようなのだ。生々しさが閉じ込められていて、けれど知的デオドラントが効いている。

拷問にかかる主人公を見ていると痛感するように、本人の知的好奇心や知能指数が本人を追い詰めていく。その結果が文字になってしまった…と言う作品を読んだと感じた。

ともすれば平和な世の中では、自分の向上心と言う糖衣で包んだ知的好奇心が政治的状況下で牙を向く。賢ければ賢いほど沈黙する。しかし、その息苦しさから逃れたいと思うターニングポイントが訪れた際に自分だったらどうするのだろうか。

身体的言語において名作だと思うが、間違いなく文字で読んだとしたら、途中で目を背けていた一冊だった。

けれど、心の中にしっかり楔を打ち込まれたようで、しばらく私は著者の周りを徘徊するであろう。


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