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雪かきが好きかもしれない

雪の予報をみるとうんざりする。
雪道を運転しなければならない。何も考えずに運転できた職場までの道路が一気に苦行になる。歩くのだって大変だ。何より寒い。

雪かきをしなければならない。家の前だけではない。職場の駐車場も雪かきをしなければ車を停められない。

子どものことは雪が好きだった。雪だるまを作り、ソリで遊ぶ。雪道を登校していたがまったく苦痛ではなかった。どんどん積もれって思ってた。

雪が降ると家の前と職場の駐車場の雪かきをするのだが、職場の駐車場は他の人たちは必要最低限しか雪かきをしない。10センチ程度の積雪なら雪かきをしないで無理やり入っていって駐車する。勢いをつけて駐車場に入る様子には雪かきなんかするもんか、という強い意志を感じる。

それでも私は雪かきをしてしまう。帰りに駐車場を出れる自信がないからだ。スタックしちゃうかもしれないから。

駐車場の他の人たちからは、わざわざありがとう、大変なのに大丈夫?、そんなにしなくていいんだよ、といった声をかけられる。その言葉の裏には、あなたが雪かきをしていると自分も雪かきしないといけなくなるからやめて、という圧を感じるときがある。

だから、最近はそんな声をかけられたら、すぐに雪かきを終わらせるようにしている。だんだん罪悪感を抱くようになってしまうから。

そこで、雪かきをするのが嫌じゃないのに気づく。雪かきをしたくてしている節があるのだ。私は雪かきをしたくてしている。

雪をすくって別の場所に集める。だんだん雪山ができていく。雪山を見るとソリで滑れるとワクワクしてしまう。ソリ遊びなんてもうしないのに。
子どものころの雪遊びが大好きだった自分を思い出す。純粋に雪遊びを楽しみたいと今でも思う。もう十分すぎるくらい大人なのに。

雪道が大嫌いだから雪がふっても車の運転しなくてもいい在宅の仕事はないかと真剣に考え始めている。そしたら雪の予報に怯えなくてもすむ。


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