生まれて初めて、自分を褒めた

先日、人生で初めて、心から自分を褒めた。


これを読んだあなたはどうでしょう?
褒めることなんて簡単でしょうか。


この出来事に、何か大きな達成があったわけではない。

久しぶりにピアノを弾いたら、「私結構ピアノ上手いじゃん」と思っただけ。

久しぶりのピアノなので、全然上手く弾けたわけでもない。
何なら昔は暗記でスラスラ弾けた曲も少し辿々しいくらい。

なのに何故か、「私の弾く最初の和音が綺麗だな、良い感じじゃん」と思えた。心が震えた。

今までの私は世界一のピアニストになれるだなんて到底思っていないのに、「私なんてまだまだ、上手い人には遠く及ばない」としか思えずにいて、とにかく苦しい人生だったと思う。


ピアノだけではない、絵もスポーツも勉強も仕事も…私は常に上しか見ずに生きてきた。
なぜなら、ありがたいことに、物心ついたときからあらゆることがそこそこできたからである。


ピアノを始めれば、先生から特別レッスンのオファーを受けるし、学校ではいつも伴奏を弾くし、コンクールでもそれなりの結果を出す。

水泳を始めれば、選手育成コースにスカウトされる。

習っているわけではないのに、絵や習字で賞を取る。

勉強も小学校のテストは常に満点で、当然学年で一番。通知表もオール「大変良い」。
たまに満点でなかったときは、あまりにも恥ずかしくて、ランドセルの底にテスト用紙を沈めていた。塾の模試で満点1位を取ったこともある。

全国紙のこども新聞の記者を始めたら、通算4回も1面を飾る。



なのに、ほとんど褒められた経験がない。



客観的な事実として「周りよりできる」ということは自他ともに認めていたと思う。
ただそれは、比較した上で「すごい」と言われるだけで、手放しに「周りに関係なく、あなたがすごい」と言われたわけではないのだ。


できないことを、こっ酷く叱られたり、引っ叩かれたりしたこともないし、それだけでも恵まれているのかもしれない。


でも、いつしか私はひとつひとつを楽しむことを忘れてしまった。


人生は、誰かと比べて、誰かより勝るための営みになってしまった。


歳を重ねるたびに、自分の能力の身の程を知る。
思い描く自分になれないことへ絶望し、いつしか自信が消え、自分を肯定できなくなっていた。


だから強く言いたい。


努力することも、競うことも大事。
だってそれは、人は誰でも社会の中で生きるから。

でも、それは「今この瞬間を生きている」ということの尊さや素晴らしさへの肯定があって成り立つのである。


情報化、グローバル化、多様化する社会で、他者と比べやすくなった今、無自覚にこの苦しさを生きていないだろうか。


少なくとも、子供や若い世代がこの苦しみで潰れないでほしい。


「自分を褒めなよ」


何かで世界一になるよりも、自分を褒めることって難しいのかもしれない。


でも、褒められたときから、新しい人生が始まる。


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