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TAAC「を待ちながら。」を観てきた。

柿食う客という劇団に所属されている七味まゆ味さんと悪い芝居という劇団に所属されている山崎彬さんの2人芝居。素晴らしい演出と素晴らしい役者さんの化学反応を目の当たりにできたわたしは本当に幸せだった。

日常を観た感覚だった。ただ、それはわたしがみてきた日常よりもまた少し違う日常だった。

いつもいつもわたしは自分のことで精一杯でずっと他人のことは後回しにしてきたタチの悪い人間なのだと思う。いや今までは恩を受けてばかりの人生だった。ずっとずっと物理的に人を待つことは嫌いだし、ある何かが起こったり変化するのを待つのも苦手だ。

「時は金なり」というほど人は待つのがどうも苦手な傾向にあるらしい。それでも待つ、という選択肢をとれる他人という存在が今まで私にとっていたのだろうかと考えた。大切に想う人はいるしこれからも大切にしていきたい人もいる。そもそも待つ、という選択肢を今まで迫られたことがないのかもしれない。はたまた不器用を理由に周りが見えてなさすぎたのかもしれない。哀しいことに恐らくそうだと思う。今までわたしはどれだけの人を気付かずにどれだけ待たせてきたんだろうと、なんてわたしは薄情なんだろうと、この演劇を観て実感したのである。

そこには大切な人をひたすらに待ちながら生きる人がいた。時にお互いのパワーバランスが偏ることだってあるけれど、それでもひたすらに試行錯誤しながら待つことでしか変わらないことがそこにはあった。


10万分の1の確率で子を亡くした夫婦のお話だったのだけど、わたしは夫婦というものに全くもって良いイメージを持っていない。
そもそもカップルや誰かとお付き合いして恋愛関係になることやパートナーと一緒に時を共にしたことがあまりない。

1番間近でみてきた夫婦はやはり両親で、私にとっては舞台に立つ彼ら夫婦はわたし自身の両親に見えたのだ。彼らの過去を振り返り、どれだけの想像力やおもいやりや悔しさがあったのだろうと思うと、単純に胸にくるものがあった。それが恐らくパートナーと暮らすということなのだろう。

大切なパートナーと暮らすということは答えがなく、とてつもなく果てしない想像力とともにある苦しみなのだと思う。
それと共に同じくらい喜びがあるのだろうか、と初めて少し希望を持てた気がした時間でもあった。
それがとても嬉しくてたまらなくなった観劇だった。

#TAAC #を待ちながら #コラム #感想 #演劇

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