映画視聴記録:Pearlパール/Xエックス(ネタバレあり)


とにかくめちゃめちゃ面白かった!とても好き好き好きな作品。これは大河ではないか。映像もシーンの重ね方など美しくて、大好きなのだけど、とにかくストーリーの魅力だけでも…と思い、自分なりに纏めてみた。

シリーズ通してキリスト教的な神を建前とした抑圧からの女性の解放…というのがテーマの大きな部分を占めていると思う。
殺人鬼を描くスプラッタものにしてはどちらの作品も最初の殺人まで時間がかかり過ぎているし暴力描写も過激すぎない(…というか、制作側のフェティシズムを感じさせるような殺害方法が無い)そして濡れ場が多い…というのも理由の一つだ。暴力描写と性描写という一定の集客を見込めるものをフックに周囲に相容れないもの(Xファクター)を抱えた人間の在り方を描こうとしているように見える。

魅力的なパール
パールは世界大戦の時代に青春を迎えている。女性が抑圧された時代に、戦争とパンデミックで更なる負荷を与えられた彼女は「スターになりたい」という夢を抱く。ここから抜け出したい。障害のある父を世話し、働き手を担いながらの夢に向かおうとする彼女の努力は涙ぐましい。容易に家を空けることを許されず買い出しの日に僅かな時間映画を鑑賞することを楽しみとし、家畜を相手にショーを繰り広げる。身に纏うのは母のお古の外出着だ。残虐性を秘めつつも健気な彼女を応援せずにはいられない。

パールと毒親
周囲より貧しい生活、施しは受け取らないというプライドから放置された豚の丸焼きは蛆が湧いている。与えられた物を受け取らず、パールに過剰に慎ましい生活を求める母を毒親と片付けてしまう事もできる。母親自身がパールを支配下に置くことで遣り切れぬ欲望を満たしていたことは確かだ。
だが、彼女自身も貞淑である事を求められ、貧しさを神の思し召しだと思いこむような頑なな態度で突っぱねることでしか自らのプライドを守れなかった満たされぬ女性だと考えると悲しい。夢を抱くことさえなければ味わうことのなかった辛酸を彼女自身舐めてきたのかもしれない。慎ましく耐えることは母なりのパールへの愛情でもあった。そのことをパール自身が理解しているからこそ容易く両親を捨てる事が出来ず、ギリギリになるまであの場所で耐えてしまったことが悲劇に繋がる。
母が豚の丸焼きを放置することも、貞淑であることも、どちらも性欲食欲といった肉体的欲求の無視だ。パールは無視する事が出来なかった。無視することが出来ない程様々な欲求が大きい「特別な」人間だったとも言える。その差がお互いを思いやる心も持ち得ていた母娘の関係を決定的に破綻させ、事故は起きてしまった。あれは事故だ。あの事故さえなければパールはあちら側へ行くことは無かったかもしれない。しかし、起きてしまったことで彼女は気づいてしまったのだろう。それが解放であり快感であることを。

殺人犯としてのパール
パールの最初の殺人は映写技師だ。その時点で母を見殺しにする計画は抱いていたかもしれないが、まだ死んではいなかった。
パールは逢引の後、家まで送ってくれた彼を家に迎え入れ父を紹介している。フランスに逃げたいだけならそんなこと必要あるだろうか?彼女の言う「こんなところからオサラバ」というのは「こんな状況から」ということではないのだろうか。こんな私の魅力が認められない所からは…
だから、パールは映写技師を家に上げ、精一杯身なりを整えた父を紹介し、納屋の観客たる家畜達を紹介した。彼女の全てを受けとめてもらいたかったから。だが彼は彼女への興味を急速に失う。その最初の契機が母が放置していた豚の丸焼きというのはよくできている。彼の可愛いローカルガールは、想像以上に不潔で臭く汚い得体のしれない物音のする屋敷の住人だった!
彼女の放つ性的魅力を見限ったと看破した瞬間に(≒支配下に置けないと悟った瞬間に)パールは激怒し自らの意思で殺害をする。
冒頭でアヒルを殺したような彼女の嗜虐性が一気に開花する。(余談だが、このアヒルシーンからタイトルへの移り変わりがとても美しくてお気に入り♡)
農場という生殺与奪の行われる場で育った事も命を奪うことのハードルの低さに拍車をかけたのではないか。彼女自身、後のシーンで小さな生き物を殺すことが快感だったと告白している。
結婚当初、夫に隠すことが出来ていた嗜虐性を抑えきれなくなったのは何故か。一つは夫が戦争に行ってしまった性的な満たされなさというのがあるだろう。シリアルキラーについて検索するとその多くが親からの過度の抑圧と強い性衝動がセットで大きな要因となっている場合が多いのに驚く。
映写技師の誘いを受け案山子を相手にしたシーンの後、パールは「夫がいるんだから!」と吐き捨てるように叫ぶ。夫がいる=男性に選ばれた魅力ある私/夫がいる=貞淑である…という当時の価値観に塗れた自意識と罪悪感。映写技師とフランスに出奔し性的にも社会的(ダンサーとしての成功)にも成功を勝ち得たいという本音の間でパールは雁字搦めになっている。映写技師に誘惑されることにより、彼女の自我は抑圧と解放の間で混乱を深めてゆく。

史上最高齢の殺人夫婦?
【X エックス 特集: 解説・あらすじ・感想 ホラーの”向こう側”――死ぬほど快感】 https://eiga.com/l/bcbZQ
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映画ドット・コムのあらすじを読むと「史上最高齢の殺人夫婦」とある。これは事実ではあるがミスリードでもあると思う。特徴的な殺人鬼…という触れこみは集客に繋がる。
「Pearl」では殆ど登場しない夫であるが、Xに於いて彼は長年連れ添ったが不能になってしまった夫として登場する。パールはその事に何度も不満を漏らし夫も心臓の理由で彼女の期待に応えられないことを申し訳なく感じている。来訪者たちに対し「前に来た奴らも裸同然の格好で妻をたぶらかした」などと不満を漏らす。
パールにとって似たようなシチュエーションが過去にもあった。夫が従軍し欲求を満たせない状態の時にある彼女が映写技師から誘いを受けたときだ。彼女は同じように抑圧と解放の間で混乱した。
彼ら夫婦からするとパールを混乱に陥れた来訪者たちこそが加害者なのだ。殺人を恒常的に行っていた…というより夫が不能になった後に欲求を満たす為にこそ殺人を再開したのではないか。殺人鬼が高齢になるまであの家で生き延びたのではなく、「高齢(且つ不能)になったからこそ」殺人を再開するしかなかったのだ。彼女の欲求を満たすために。彼らは殺人を求めて外を彷徨ったのではない。犠牲者の方から彼らのテリトリーに侵入し、そして見せつけたのだ。

パールの愛
何処かへ行きたかったパールだが、愛する夫とは「こんなところ」に死ぬまで住み続けたのだ。
夫はパールの求める事は何でもしてやりたいと言うパールの崇拝者だ。彼女は一定の満足を得た事だろう。かつて「私はもう、あるものを大切にする」と語ったパール。勿論彼女の夢はダンサーとして成功事だった。しかし、長い年月を経て夫とあの家で過ごしたことはダンサーとして成功する以上に、周囲から認識される印象とは全く異なった幸せな人生だったのではないか。少なくとも夫は、あの容姿になったパールをも心から愛し満たしてやりたいと願っていた。ダンサーはどうか、あの年になっても観衆はパールを必要とするだろうか…?パールは一つ諦め、一つ得たのだ。終盤、夫と性行為をした後に犠牲者を仕留めてしまいパールの為に残すことができなかった事を謝る夫にパールは囁きかける「もう必要ないわ、あなたがいるもの」

満たされなかった欲求
とはいえ、である。やはりパールの夢はダンサーとして脚光を浴びることであった。だから、死にゆくパールはマキシーンに「どうせお前も同じ、全ては色褪せてゆく」という呪いの言葉を吐く。
パールも夫マキシーンには特別なものを見ていた。初めて彼女を見たときの夫ハワードのハッとするような表情。若かりし頃のパールそっくりな…。
パールは誘蛾灯に導かれるようにマキシーンのベッドに潜り込み彼女の素肌ににそっと触れる。「Pearl」を見ていなければ頭のおかしい老嬢の気持ちの悪いシーンでしかない。しかし、パールの想いを知った者は、希望と才能と美に溢れた未来に触れるシーンだということに気づく。かつての自分を慈しむような。
これが若い女性同士ならどうだろう。才能と美に憧れる友人に対する羨望と憧れの眼差しというのはより理解し易いし美しく見えるシーンになるだろう。だが、それが醜い殺人鬼の老嬢であるならば……。
しかし、完全に失われた未来に向ける眼差しは未来を持つものよりもより純粋に澄み渡っている。気持ち悪さに拒絶をされてもパールはなぜだろう、激怒することはない。

パールからマキシーンへ
「Pearl」では丈の長い野暮ったいロンパースを身に纏っていたミア・ゴスは、「X」で素肌にショートのロンパースを着た姿で登場する。時代によって変化した女性の性の開放度を表すかのような似た衣装の露出度の変化。どちらもミア・ゴスでなければならなかった。何故なら同じXファクターを持つ女性が時代によってどう違って生きられたかの物語だからだ。
「有名になってやる」「あたしは特別なの」と息巻くマキシーンは若かりし頃のパールそのものだ。「パール 意味」と検索すると性行為の隠喩だと出てくる。あの時代、環境下で、性行為でしか自分が特別であることを実感できなかった女性は、より開放的に変化した世の中でどう承認欲求を満たしてゆくのか。
「X」でマキシーンは「私はセックス・シンボルよ」と息巻く。性的に求められることは承認欲求と密接な繋がりがあるのか。
性的欲求と承認、殺人欲求に密接な繋がりがあるとするならば、ダンサーとして成功する事も、夫との愛情行為で満たされることもある意味同義ではないのか。どちらかがどちらかの代用のようでもありながら同質ではない相補的な関係。どちらがより幸せかと問われれば「全部欲しい」というのがより欲望に忠実な答えではないだろうか。
承認欲求も性的欲求も、どちらも自分の魅力で相手を支配する必要がある。人を支配する極北にあるもの、それが殺人だ。母親との支配/被支配関係で惨めな側にに置かれていたパールにとって、支配の側に在ることは非常に重要であった。パールは殺人という最終手段で満たされぬ支配欲求を満たそうとしたのではないか。

「神」の許す欲求の在り処とは
「X」には繰り返しブラウン管テレビのシーンが挿入される。ある宗教団体の父が教団に背いた娘を糾弾するような神を讃えるような演説。それは微妙に物語とシンクロしている。神が許す欲求とは何か。
2016年、特別聖年の間許されていた中絶をローマ・カトリック教会の法皇が無期限延長するというニュースが流れた。神にとって性行為の在り方は常に関心の一つだ。
ポルノ映画を撮影に臨むマキシーンは意味深に十字架の象られたネックレスを外す。この欲求は自然に反する事なのだろうか。「Pearl」で映写技師がパールに密かに見せたポルノ映像。いよいよそのような作品が大衆に求められる時代が訪れたのだ。
ボビー=リンは映像に撮られた自分を演技だと仄めかし、感化された出演する事を決めたロレインにオーウェンはショックを受ける。彼女たちが自由に振る舞うことは男性にとって傷になるのか。彼女たちを神の規範の内側に押し込めてきたものとは何か。
一方で、より自然な愛情の発露であるはずのパールとハワードの性行為は観客に微妙な後味を突きつける。

パールの開花することを許されなかった才能は時代を超えマキシーンに引き継がれる。それはどう評価されるのか、そしてどんな血と欲に塗れてゆくのか。これが次回作で描かれるのではないだろうか。
映画のラストで無事脱出したかに見えたマキシーンだが、彼女もこの後過去を切り捨てる事は出来ないだろう。屋敷から出てきたビデオ映像の中には彼女の姿も残っている筈だ。それによって失脚するのか、はたまたそれさえ踏み台にしてのし上がるのか、彼女はどんな決断を見せてくれるのか。

全ての命は、時代も場所も選ぶことが出来ず産み落とされる。それを持つ者であったとしても、時代と環境が整わなければ才能を開花させることは出来ない。このシリーズは時代に・環境に・運に恵まれなかった全ての特別な才能「Xファクター」の持ち主に捧げられているのではないか。であるのならば最悪の出来事の後、神の采配で助かったマキシーンのようにドラッグを吸いながら呟くしかないではないか。
「クソッタレの神を讃えよ!」

(とか言って、続編全然違ったらうけるー!それもまたよし。)
ところでXXXとは、KISS KISS KISSだとばかり思っていたけれど、米国では性的コンテンツや非常に度数の強いお酒の事も表すとか…意味深。益々公開がたのしみだー。
https://theriver.jp/maxxxine-us-date/


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