映画視聴記録:異人たち

ネタバレしてるかも


「外に吸血鬼がいるんだ」という台詞が視聴後もずっと尾を引く。
原作未読だが、河合隼雄が自著でかなり詳しくあらすじを書き精神分析的な読解を試みていたのを読んだので大方のストーリーは掴んでいたが、設定を利用した全くの別物と考えた方が良い。
主人公をゲイにすることで「異人」という言葉が死者だけでなく主人公自身にも掛かるタイトルになり良い改変だと感じた。この映画では性的嗜好だが、誰しもが人に受け入れられない(それを試みようとする事さえ難しい)個人的な葛藤は抱いているだろうし、そういった万人に共感されうる孤独をより際立たせたのではないか。
死んだはずの両親に会い子供に返ったようなアンドリュー・スコットの表情、終わりがあることを実感として知っているからこその偽りのない言葉。父親の「同じ教室にいたら自分も(アダムを)苛めていたと思う」という台詞の凄まじさ。残酷な事実からから紡ぎ直す父親との関係性。自分とは異なる、しかし心から大切に思う者への理解したいされたい複雑な感情。同じにはなれないことへの赦し。親としても、かつて子供だった自分としても、一人の孤独な人間としても、身につまされるようなシーンが幾つもあり、そして胸に抱えたしこりが緩やかに溶け出し瞳からから滴るような静かなさざ波を感じた。
ゲイ文化の露悪的なシーンは、個人的には刺激が強すぎてあまり得意ではないのだけれど、その生々しさに埋もれようとする中にハリーの生への希求があったのかと切なく思い返す。同衾のシーンは切なく、ひさしぶりだから」というアダムの飾らない言葉は心臓を掴む。彼が両親の愛を追体験し、今度は相手を知り愛するため扉を開いて受け入れようとする行為は、それがハリーのどんな秘密の露呈に繋がろうともうつくしい。

書き忘れたけれど、あの二人しか住んでいないというマンションの意味は考えなければ。魂というのはそれぞれがそれぞれにとって異質なものであり、生きてるか死んでるかなんて些細な問題なのかもしれないが。

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