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こころの年齢

アメリカに来てから、もうすぐ21年になる。
短大卒業後、都内のホテルに就職し最初の3年は実家を出て寮暮らし、そのあとは留学の夢を叶えるために貯金を第一優先するため実家へ戻って通勤した。留学の準備が整い、入社7年目の夏に退社してアメリカへ渡った。

渡米後、はじめは年に一度はゆっくりと1か月くらい日本に帰国するつもりでいたのだが、フランス人の夫と出合いフランスへの里帰りと交互にしなければならなくなったこと、結婚、出産などのイベントで日本へ帰国できるのは3年に1度くらいのペースになっていった。私の地元から東京まではバスと電車で1時間半くらいなので帰国するたびに東京へはちらりと足を運ぶのだが、都内の記憶が私の中では20代前半にホテルに勤めていた頃のままで、帰国の度に建物や駅改札などのテクノロジーの変化、外国人観光客の多さなどに目を見張り、浦島太郎のような気持ちになる。

私の現在の勤め先は日系の小さな製造業の会社で、私の直属の上司は日本からの駐在員なのだが、先日私はその上司に自分の前々回の帰国の際、都内でホテル時代の同期の仲間と数名で集まったときのことを話していた。独立して小さなレストランをやっている同期のお店で集まり、皆で賑やかに過ごした後、そのお店からは電車とバスで2時間弱の実家まで帰らなければならない私は少し早めにお店を出た。同期のお店から最寄り駅までは徒歩10分くらいだったのだが、今まで使ったことのない路線の駅だったため、行きは道を知っている同期に付いて来たのだが、帰りは一人なので方向がいまいちよくわからない。なんとなく人の流れにまかせて歩きながら少し不安になった。時間も夜10時近くだったのではないかと思う。一応周りにはまばらに人が歩いてはいるものの、なんだか心細いというか急に少し怖くなって、足を速めた。

アメリカで生活していると車社会というのもあって、まず歩くということがない。歩くのはたいてい駐車場から建物の中に入るまでしかない。それに私の住んでいる地域では私は夜暗くなってからは買い物やガソリンスタンドなどに行くのも控えるという感じで、田舎だからかもしれないが街中や住宅街のようなところを暗くなってから10分も歩くことがまずないのだ。だから夜10時近くという時間帯に知らない街で道順のよくわかっていない場所を一人で歩いていることに急に不安になってしまったのだ。

(まずい)とこころの中で思いながら少し早歩きし、結局すぐに最寄りの駅に着いたのだが、そのときの焦りを職場の上司に話した。
私:「アメリカだと普通にやばい状況なんで、ちょっと焦って駅まで歩いたんですけど、今考えたら日本だし全然大丈夫なんですけどね」
上司:「おばさんなんだから、大丈夫!」
私:「???」
上司:「若い娘じゃないんだから(笑)」
私:「!!!」

上司に言われるまでそんな風に思ったことが本気でなかった!10代、20代の可愛い娘でもあるまいし、アラフィフのおばさんが夜道で襲われるなんてあるわけないさってことなんだけど。そうか、もう私のようなおばさんは夜道で襲われるなんて心配をしなくてもいいのか!日本だったら私はもうさみしい夜道を一人で歩いても安全なのだ!(笑)

私:「いえいえ、私はこころの中ではずっと若い娘なので(笑)」

そんなやりとりをして、私は心の中では自分がまだ若い娘のようなつもりでいたんだなと思った。それもまったくそんな自覚がなかった。気持ちの感覚が日本に住んでた頃の20代半ばくらいで止まっている。その夜はまさに20代前半を共にした仲間と過ごしたからというのもあるのかもしれないけど。そこから20年も経つけど、私の中身はまったく変わっていなくて、でもそんなことちっとも考えたことがなかった。でもそれがなんだかいい発見をしたような気分になった。

私の大好きな本「モリー先生との火曜日」のモリー先生は70代で難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、どんどん衰弱していくのだが、毎週火曜日に会いに来てくれる昔の教え子ミッチに老いることへの思い、若い人たちに嫉妬することはないか?と聞かれたときにこのような話をする。
私は10代も20代も30代も、自分の実年齢までのすべての年齢をすでに経験してきたんだよ。それがどんな風なものか知っているんだ。今の自分が携えている人生経験や知恵の備わっていない若いころの自分に戻りたいかって?それはノーだよ。だって私はもうそのすべての年齢を経験してきたんだから。私は心の中で今の年齢までのすべての年齢にいつだって戻れるんだよ。

本当にその通りで、自分の実年齢よりも上の年齢にはなり得ないけど、それ以下の年齢、つまり自分がすでに経験してきた年齢の気持ちにはいつだってなれる。私の場合、マウンテンバイクに乗ってるときはいつもなぜか7歳くらいの気持ちに、東京時代の仲間に会えば20代前半のような気持に、高校時代の友人に会えば高校生くらいの気持ちになる。
普段、自分の年齢を意識することはほとんどないけど、アラフィフという意識はまったくない。そのわりにまわりの同年代の人たちのことは普通におじさんやおばさんだと思って接している。

年齢を重ねるごとに肉体の実年齢とこころの年齢が一致しないという状態になってきている気がする。それもきっとモリー先生のいうように、こころの年齢というのはもっと自由でその時々で変化しているからなんだろうな。

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