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好きなことやっている時間

好きなことやっている時間のすきなところは、余計なことを考えない時間だったりする。それから、いろんな余計なことから自由になれるところ。

余計なことを考えない時間

マウンテンバイクに乗ってるときは、呼吸しながら、走っているトレイルを乗りこなすことに集中している。泳いでいるときは、呼吸と、そのとき気を付けようと思っているひとつのことを、繰り返し繰り返し丁寧にできているかに集中している。ジョギングしているときは、呼吸とひとつになって、カラダをうまく使って一歩一歩前に運べているかに集中している。

体を動かしている時間が好きなのは、呼吸に意識を向けて、他のことを全部忘れられる時間だからなのかもしれない。頭(こころ)のなかがずっと空っぽなのかと言われるとそうでもない。無になっているときもあれば、何かの思いや感情や回想、ときにはアイディアなどが浮かんでくることもあって、そういう自然と湧き出てくるものを認識しながら、「そうなんだなあ」と受け止める。カラダを動かし続ける時間が、私にとって自分と向き合ういい時間になっている。

静かな部屋に一人で座って、目を閉じる。そういう瞑想はできる気がしない。けれど、カラダを動かしている時間が私にとっては瞑想と同じような効果があるような気がしている。

目を閉じてじっと座る瞑想はできないけれど、自分に合ったスタイルならば、静かに自分と向き合う時間を作るのも好きだ。

ひとりでハイキングして、誰もいない森林の中をマイペースに歩きながら自分と向き合う時間も好きだし、海や山などでゆっくりと景色を眺めながらたたずむのも好き。余計なことを考えないで自分とゆっくり過ごす時間、自分を見つめる時間をもつことを大事にしている。


自由になること

それから、自由になった気分になれるのも好きな時間だ。

普段の生活の中で、自分という人間を定義するもの(例えば年齢、性別、家庭での役割、人種や国籍、役職などなど)から自由になりたい願望がある。

マウンテンバイクに乗っているときは、自分が男の子とか女の子とかそういう意識もあまりなかった、幼稚園生くらいの子供に戻ったような気持ちがするのが好き。私の勝手な思い込みなのだが、アメリカ人とか日本人とか英語が上手に話せないとか、男とか女とか、年齢とかそういったことを忘れて、一緒に乗る周りのひとたちが、子供同士になったような気分になって、嬉しくなる。

トレイルでのライダー同士のマナーというのもあるけれど、普段はどこか自分に自信が持てない内気な私が、ライド中にトレイルで通り過ぎるほかのライダーたちには、知らない人でも平気で「おはよう!」「 ハイ!」などと挨拶できてしまう。

何かに熱中しているとき、楽しんでいる時間は、自分を定義する様々な「型」から自由になれる気がしている。そう思わせてくれるものほど好き。

そういう時間をなるべく多く持つことで、自分が役割を果たさなければならない場面で課題にぶち当たったときに、少し距離をおいたところから状況を観察できる視点を養うことができるんじゃないかな。

今書いていてそう思った。好きなことやって、自分の様々な役割、肩書、他人からの期待、そういったものから自由になる時間を作ること。いろいろな「型」から自由になった自分の姿を発見、確認することが、「型」をやっているときの自分の視野を広げてくれるのかもしれない。

今日は書いてて急に「そうだったのか!」と発見があってびっくり。書くことも自分と向き合うことだから、こんなこともあるんだね。

だから、これからも好きなこと見つけて、自分を見つめたり、自由になったりする時間をなるべくたくさん作っていこうと思う。

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