不妊治療の辛さ

まだ完全に卒業できたわけでもない。
お腹の子供は9ヶ月。無事に生まれてくるまで胎児は胎児だし
生まれてきたあとも気が抜けるわけではない。

不妊治療は、ガチャだった。

50万円で数回ガチャを引く権利を得て(採卵・媒精)、
15万円で1回ガチャを引いて(凍結卵移植)、
だめだったらまたガチャを引いて、
その繰り返し。

2人目もほしい。
そのためには現在凍結中の卵子を来年移植するための
保管料金5万円を払う。

自分は何とか妊娠できたからいいけれど
正直、治療している最中は全く先が見えない暗闇だった。
治療なしで自然に授かった友人の全てが羨ましかった。

「この治療なしに授かれるのなら、このお金を丸ごと教育費に使えるのに」
何度そう思ったことだろう。

私の妊娠を人づてに知った同い年の知人から
「おめでとうございます! 私も今2人目妊娠中なんです」
とLINEが来た時には泣いた。
彼女は1人目自然妊娠だったし、私が妊娠に苦労しているのも知っている。
2人目妊娠中という言葉が、自慢にしか見えなかった。
実際は単なる報告だろう。しかしそう捉えることができなくなっていくのだ。

年下の取引先営業マンに産休で休む旨を伝えたときに、開口一番
「何人目ですか? 俺、妻が3人目妊娠中でして」
と言われたのにも傷ついた。
こちらは1人目を授かるだけでこんなに苦労してきたのに
私は3人目の子供を授かることはきっとないのに。

しつこい? そう、私はしつこくなってしまったのかもしれない。
他人の幸せが眩しすぎて、自分が矮小なものとしか感じられなくなる。
そんな歪みを自分に見出してしまい、そのこと自体が悲しかった。

不妊治療の辛さはお金だけでも身体的なことだけでもない。
だんだんと精神が追い詰められていくことの辛さが大きい。

これを読んだ方には、誰かから妊娠を告げられたら、
ただ単に喜んであげてほしい。
自分の子供の数や、〇人目のときにつわりが辛かった話とか
自分から言わないであげてほしい。傷つくから。
目の前のその人は、不妊治療をしていたかもしれない。
そんな可能性を頭の片隅において、言葉を使ってほしい。

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