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プロティノスのこと

大学時代に知った彼は、私が心のどこかで憧れる世界を言語化していた。
習った古典ギリシャ語はほとんど忘れてしまったけれど、彼が見つめる世界の虚ろさと大切さは、私の脳内で多少変化しつつも、実感としていつも傍らにある。

彼の言葉を学んでよかったと思うのは、周囲からの不条理に憤りを感じる以外の感情の選択肢を取れること。

クリスマスの日、列車に乗っていると、隣の女性が肘をぐいぐい押しやってきた。
私は自分の座席の領域から一切出ていない。
体型だってBMIだと痩せ気味に属する。
「なんでそんなことするの」とか「こっちだって押し返してやる」とか、そんな言葉が巡らなくもないけれど、プロティノスを思い出すこともできるのだ。
「低俗な魂のレベルに合わせると、君の魂のレベルも落ちるよ」
確か彼はそんなことを言っていた。
つまり、ここで私まで対抗すると、同じ穴の狢となってしまい、魂を高貴なものの方に上昇させられないのだ。

「この人の魂はかわいそうだ。地上の汚濁によって自らを失っている。でもそれに私が巻き込まれる必要はない」

そう考えて、帰路の列車をやりすごした。

大学を出てからそれなりの年月が経ったが、やはり時折プロティノスに触れたくなる。
一者、善、魂。日常では目にしない言葉の羅列に心が踊らされる。

今日の私にも彼が必要なようだ。
通勤鞄に忍ばせて、1日をきっとやり過ごしていく。

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