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gacco: ga080 memento mori-死を想え- 最終レポート提出内容

資本主義と個人主義の到達点に於ける墓2.0(仮)の可能性

 物理的な墓を継承し、先祖代々のイエを守る。そんな時代はもう終わろうとしている。
 土地を浪費し、景観を損ね、身銭を削って維持する墓というものが、信仰や伝統という御旗を掲げながら柵として残っているのは実に厄介なものであると考える。そういったものに社会の資源を割いておける余裕は、特に昨今のSNS上での言説の動向を見ていると物理・金銭・精神などの面から減ってきているように見受けられる。つい最近まで横並びに良しとしてきた、重苦しい墓という文化に真っ向から疑問を呈するまでの個人主義が発達してきたことは大きな進歩だが、現状の墓周りの文化はイエの意味の薄くなった今になって尚、残された者にずっしりとのしかかって来る。
 では仮に墓が全て無くなり、死後に何も残さず散るのみで良いのかと問われた場合、それをそのまま受け入れられる者はそう多くはないとも感じる。
 そうなると金銭的・空間的余裕のない現代に於いて新規死者の受け皿として何が担うかが問題となってくる。
 ビルに入った納骨堂というようなものを見たが、それも一つの形だろう。謳い文句も「手軽」「ハイテク」「安上がり」とあり、小綺麗で小洒落ているものも多い。ところが一見してビジネスとしても成功しているものの、結局は物質や物理空間の束縛から解放されておらず、さらに維持管理費も取り続けていかねばならず、それが出来なければ改修もできずに廃墟となると予言されている、実に先時代的な発想から生まれた過渡期のガラクタと言っても過言ではない代物であった。

 ここから提唱する墓2.0(仮)には、それら柵が一切なく、土地を必要とせず、墓を立てても景観を損ねず、維持費もかからず、自由で気ままで、それでいて現状の経済活動をもある程度持続可能であると想定される。以下大まかな概要を書く。
 墓2.0はP2P技術を使用した情報ネットワークで、個人または故人の情報を個々に保存する。データは分散して保存され、死者の墓と遺した情報は本人の自由遺志により公開される。データの保存は主に神社仏閣または個人が行う。情報の担保は「宗教屋の経済活動」「何かを遺したいと思う欲」「覗き見欲」の三点式を想定する。(ビットコインの担保が「金銭欲」「経済への参加欲」であるのと似た形をとることになり、永遠を期待できる)
 遺すデータは自分が生きているうちにいつでも自由に編集し、遺書・遺稿として保存され、死後に公開される。そういう世界になれば人々が死について考える機会も増え、逆説的にそれは世界を生き易くすることだろう。
 建てたい者は墓も建てられる。墓石のデザインと望む場所を指定し、それを情報として保存する。家名、家紋、改名、言葉、形、大きさ、立地、何もかも全て自由である。それはいつでもスマホのAR(拡張現実)で再現でき、お参りする事ができる。石材屋が墓の3Dデザイナーになり、坊主がARプロジェクタを原付の座席に仕舞い込んで東奔西走するようになる。花屋はLINEスタンプと同じ感覚で、供養ソフトで期限付きの仏花を売るのが当たり前になる。その他このパラダイムシフトに応じた新事業が多数生まれてくるだろう。
 さらに場所を名所・聖地などに指定することで、特定のコミュニティを母体としたソリダリティが可能になれば、現状の無理やりイエごとに区画に嵌め込んだ無味乾燥なものよりもずっと人々の連帯が強まる。表示する際は重ならないように並べて表示する。現実世界に物理的に存在しないので環境や景観、或いは周辺の空気を損ねたりはしない。

 無論、新たな問題も多く出てくることだろう。それらも一つ一つ解決していくしかない。
 だが技術は存在する。
 継続する信仰を維持しつつ、諸問題を解決するに当たっての一つの案だと思って頂きたい。(1565文字)

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