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推しに対する浮気について

「○○ちゃんのイベント当選してるから今回は行けません」
「○○ちゃんの配信と被ったから観られません、ごめんなさい」

 声優やアイドル、VTuber等の配信者などを推す文化が一般的になり、「推し」や「ガチ恋」という言葉がカジュアルに使われるようになった今日この頃。
 「推し」は推薦という言葉にもあるとおり、他人に薦められるほどに好きな対象、「ガチ恋」は恋愛感情を本気で抱いているという意味合いのファンの間で広まった言葉だ。
 「推し」がいると言えば一般的には理解してもらいづらく、「ガチ恋」だと言えば厄介なファンだ関わらないでおこうと距離を取られることも少なくなかった。
 しかし、ここ最近は活動者側も言葉にするようになり、好きな対象の1つであれば「推し」、本気でなくとも「いいなぁ」と思う対象であれば「ガチ恋」と、前述のとおりカジュアルに使用される言葉に移り変わっている。(この話を深堀りすると別の記事になるため割愛)

 「浮気」についても同様のことが言える。
 今回は「推しに対する浮気」について、思うことを書いてみようと思う。

※ この記事は先日の推しの配信で「推しに対する浮気」の話が出て、その推しとのオンライントークイベントでその話になり、「話したこと浮気代表として書いてよ」と言われたため書いているものであり、特定界隈や特定個人を攻撃する目的でもなければ持論に対する共感を得る目的でもない、ただの落書きであるため、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。約15,000字あってまとまりのない文章になっていることからも、元から抱えていたものを言葉にして発散しているだけだと読み取ってもらいたい。なお、長く推している対象が女性声優であるため、アイドルや配信者にそぐわない表現・価値観が多く出てきますので予めご了承ください。


1 推しに対する浮気

「お前○○ちゃんを推しって言ってるクセに最近よく別の子のことつぶやいてるじゃん浮気かよ」
「この前別の子の列並んでたよね、私が一番じゃないの?それとも浮気?」

 このような形で「浮気」と表現される「推しに対する浮気」。言葉として定義するならば、「他の活動者と違い、心的にひと際推している推し(以下「最推し」とする)がいる状態で別の活動者を特別に推しているような言動をすること、またはその言動」になると思う。
 この記事では浮気をこの定義として話を進めていく。

 さて、推しに対する浮気とはなんだろうか。
 「浮気をするなんて最低だ」なんて元も子もない話は後述するとして、まずは浮気と言われる所作の種類について列挙していこう。
 そもそも推しがそのファンのことを知らない状態でやれ浮気だの浮気じゃないだの言うのは荒唐無稽な壁打ちおままごとなので、以後本記事では「推しがそのファンのことを認知している」前提で話を進めていく。
 なお、「認知を得るために頑張る」「頑張る目的が認知」問題については本題ではなく、人それぞれのモチベーションの話であり、「推し様がたかがファンについて認知とかSNS見るとかなんてするわけないだろう」みたいな「≒私の推しは顧客管理やマーケット調査さえできませんもしくはする気がないですアピール」とされる発言等についてはクソほどしょうもないので割愛する。

~推しに対する浮気の事例~
・ 最推しがいる状態でSNSで他の子について頻繁に言及する
・ 最推しがいる状態で同時開催の別の現場に行く、もしくは同時配信の別の配信を観る
・ 上記のことを手紙で触れる
・ 上記のことを接近イベントや個別通話等の閉ざされた空間で触れる
・ 上記のことをXのリプライで触れる
・ 上記のことをお便りやスパチャなど配信で触れる
 とりあえずで挙げるならこんなものだろう。

2 浮気と言われる所作

(1) 「最推しがいる状態でSNSで他の子について頻繁に言及する」

 まず「最推しがいる状態でSNSで他の子について頻繁に言及する」。
 これについては読んでいる人の中には耳が痛いくらい思い当たる節がある人もいるだろう。かく言う私も過去には漏れなく該当していたものである。
 見えることを理解している上で故意にやっている人もいれば、理解している上でそんな些末なことは本質ではなく関係ないと思ってやっている人もいるだろう。
 他に全く言及する対象がいない人もいれば、いても最推しのことを気にしてあえて書かない人もいる。

 この行動については、「最推しを介する目的の有無」で大きく変わってくると考える。
 基本的には見えることは仕方ないし、言及の内容やそれに対する意見によっては一部感じ取る側の問題とさえ思う。
 VTuberを推している人なら馴染み深いかもしれないが、「浮気しないでね」というステレオタイプ化した発言、いわゆる「推しの圧」だ。

 持論だが、これの全てを本気で本心で言っている活動者はいないと思う。なぜなら活動者はファンに対して責任を持てないし、持つ必要もないからだ。
 その当たり前に対して表で反発する人も出てくるようになった世の中――厳密には昔からそういう人たちはいて、SNSの普及によってより表面化しただけ――なので、最近はファンに対してそれを言葉で丁寧に説明する活動者も増えたなぁと思う。
 これに関しては活動者の売り方や価値観、仕事に対する姿勢等にもよるから、一概にどっちが悪いという話にはならない。
 その当たり前に心の中で嘆く人もいれば、そこを求めていない人だっている。
 無論、わかっているからこそわざわざ推しから言葉にして聞かされたくない話でもあるが。

 話が逸れたが、最推しに特に関係なくSNSで他の子のことをつぶやくことについては特に悪くないと思う。
 例えば歌が上手い、ダンスが上手い、演技が上手い、面白い、そんな感じで自分の趣味趣向とするものの中で気になるものはたくさんあるだろう。
 顔がかわいいとか、そんなものでもいい。
 「かわいいから付き合いたい」と口走っているわけではないんだ。
 試しにファンと推しで発言者を変えてみよう。
 推しが「○○さん(別の業界の年配の有名なアーティストとか)推しなんだ~」と言っているのに対して「○○さんのこと言及しないで、萎える」と(思うだけじゃなくて)言ってくるファンがいたとしよう。
 それか、「他のファンに反応しないでほしい」とか言ってくるファンでもいい。
 だるくないか?
 一旦、(特に前者について)「共感はできないが気持ちは理解する」ということだけは伝えておく。
 ぼくだって例えば別にガチ恋でなくても推しが男性との共演とかコラボとかの時だけ普段出さないような声色で会話してたらイラッとする、わざわざ言及すると馬鹿らしいので言わないだけでそれぐらいの本能はある。
 ただ、推しに「他を見ないでほしい、言及しないでほしい」と言及するのは面倒くさがられても仕方ないし、むしろ嫌われに行ってるのかとさえ思う。
 推しの自由を奪う行為なんだから、耐えられなければ別のところに行けばいい。言及そのものの責任は推しにあるんだから。
 頭では理解していても感情とは別だろう、わざわざみなまで言われたくないと言われたらそれはそう。
 自分のことを趣味のないつまらない人間だと思っているからこそ、今ある趣味を否定し失わせる行為は、推しの人としての魅力を削ることになると思っているから、客観的にあえてやらない方がいいと思っている。
 よく記事にされる、結婚後にプラモデルをこっそり捨てられるようなものだ。人が介在するから気持ち的には別なだけで。

 話を戻すが要するに、頻度が変わろうとも別でつぶやいていることは「たかが趣味」である。パーソナリティと言っても差し支えない。
 それを推しから否定されるとは何事か。
 ファンが推しに対して否定するのと同様に。
 ファンが最推し以外のことをつぶやいていることについては、活動者としては「へぇ、○○ってこういう趣味なんだ~」くらいに留めておけばいいものだと思う。
 もちろん、特にVTuberの一部界隈であれば一般的なノリやネタに過ぎないなどあるので、関係性や売り方によって軽く拗ねたりして弄ってやればいいと思う。(ファン側がそう言うの我ながらなんか嫌だな)

 問題は、「最推しを介する目的」が有る状態、つまり、嫉妬させる目的で見せつけるように他の子のことを言及する場合である。
 個人的にはやめた方がいいと思っている。
 単純に卑しい。
 「嫉妬してくれるのがかわいい」は、あくまで「悪気がない行動に対してモヤモヤしてくれるほどこちらの気持ちが気になってくれてる」ことに対するもので、そのための嫉妬は「あえてさせるもの」ではなく、「自然と自発的に芽生えるもの」だ。
 「嫉妬してほしいがために見せつける」という行為をすることで得たそれになんの価値があるだろうか。
 たとえ自分が嬉しく感じたとしても、相手はどう思うだろうか。
 言葉で書くよりも鮮明に本質的に傷つくのである。
 これが、前提にあることを頭に入れた上で「嫉妬」という言葉を捉えてほしい。

 ところで昔、嫉妬させる目的でなく、ただ他の理由で推している他の推しのことを言及していたら、最推しにそれをDMみたいな閉じた空間で触れられて、話が進むにつれてヒートアップし、結果として深く傷つけてしまったことがある。(特定を避ける目的でいつごろの話かは伏せる)
 もちろん他に目移りしていたわけでもなく、単純に活動者として推せるなぁと思って、野球の実況やアーティストの発表に対する言及よろしく、一つの趣味として推していただけである。
 しかし、それはあくまで自分の中だけの話であり、当時の最推しからすると「自分のところからその子のところに行っちゃう」とか「自分より魅力的なんだ」とか感じる理由には十分になり得る。
 だからと言ってその気がないのに一切の言及ができないのも違うとは思っているため、冷静に話し合って相互理解に至ったのだが、そのとき言われた今でもよく覚えている言葉がある。

「他の子のことについて喋ってるのを見るのが嫌なの」

 ぼくも聖人じゃない。先に本音を書いておこう。
 なんて勝手なんだろう(˙꒳​˙ )
 とは言え、これが彼女の本音だったのは間違いないと思う。
 悪気がなかったとはいえ、そこまで嫌な気持ちにさせていないつもりで会話してより嫌な気持ちにさせたことは事実だったと思う。
 じゃあ金輪際他の子についてつぶやくのをやめるかというと、前述のように意見しているとおりそうではない。
 浮気じゃないんだから理解してもらって終わりで今後も継続、それでいい。
 単純に、当時の自分が何が悪かったかと言えば、その気持ちやその気持ちに至る可能性を軽んじていたことだと思う。
 だから言及されたときに気を使えなかった。
 「推しが野球選手の推しのことでテンション上がっている様子を見るのがつらい」
 「推しが特定のファンに対して比較的楽しそうにしているのを見るのがつらい」
 理不尽でも正直な気持ちって、ファンのこういう感覚と同じようなものなんだろうなと思う。
 ちなみに、ファンがあくまで消費者で活動者は生産者であるという立場を一旦無視して、人対人で捉えての話。前提をそれにするとこの記事が破綻するので。

 一般的な女の子も同じようなもので。
 ここまで露骨ではなくとも、彼氏の有無問わず甘えられたことはあるんじゃないだろうか。
 気があるわけでもないのにとか、彼氏持ちなのにとか、理由もないのにしょうもないことで個人的に甘えられたことはないだろうか。
 令和の多様性を謳われるこの時代にそぐわないようなことを言うが、
「女の子は男に優しくされたいもの」
なんだと思う。
 もちろん、この記事を読んでいる女性で
「は?そんなことないが?むしろそういう扱いが一番うざいが?」
と思う人もいると思う。
 だから正しくは、そういう人は比較的多く存在する、という言い方になる。
 それを思えば
「え?なんでそんなにありとあらゆる女の子に対して気を使って優しくできるの?それをやれって?軽い男って見られない?」
と思うようなふるまいをしている人が、だいたい恋愛経験が豊富で人から好かれるポジションにいるのは必然なのかもしれない。
 「特別扱いをされたい」と思う女の子に対してしているつもりの「特別」がその人にとっては「普通」で、その人の「特別」はもっと別格のものだと理解したときには、自分の今までの人生におけるやる気のなさを恨んだよね。

 (1)「最推しがいる状態でSNSで他の子について頻繁に言及する」についてあらためて結論を述べると、
・ 故意に見せつける意図がなければ別に言及すればいい
・ 故意に見せつける意図があるならやめた方がいい
・ その双方問わず良し悪しに関わらず推しが気にする可能性は考慮しておいた方がいい
ということになる。
 そもそも浮気じゃないなら否定される謂れはないんだからやめる必要はないし、故意でなくても前提として気持ちの面でやましい気持ちがあるなら、そう思われても仕方ないから認めて受け入れるしかないんじゃないかな。
 好きにすればいいと思うし他から突っ込まれたら言い訳に聞こえようと本音を伝えればいいと思う。
 文字どおり、気持ちが推しから離れて浮ついているわけではないならいいんじゃないかな。
 ぁ、仕事面で(というか人として)期待している部分についてあえて他の子の発言をRPした上で「○○さんのこういうところ素敵だよな、○○さんのファンって幸せだと思う」みたいな擦り方はします。
 そこで最推しの名前を出して比較対象に上げると単純に性格悪いのでやらないそれはそう。

 さて、ここまで読んで「何をそんな当たり前のことをつらつらと」と思っている人もいると思う。
 安心してほしい、筆者もそう思ってる。
 言葉ではわかってはいても、十全にそれを行動で示しきれる人ってそういないし、自分もそうだからあらためて書いているだけではある。

(2) 「最推しがいる状態で同時開催の別の現場に行く、もしくは同時配信の別の配信を観る」

 次に「最推しがいる状態で同時開催の別の現場に行く、もしくは同時配信の別の配信を観る」。
 さて、これも前提によって大きく変わる問題だ。
 前提を「最推しがいる状態で」と書いているので、いくら他に推しがいようとも最推しの現場は絶対に行く、という精神のファンを前提に話をする。(一般化のため、内容が本気で面白くないお金と時間をかける価値のないイベント、みたいなのは例外とする)
 そこまで最推しというわけでもなく、いろんな推しのうちの一人という感覚の人は他の現場に行こうとこの記事の定義でさえ浮気になり得ないし、浮気なんて言葉を軽率に使って奢らないでほしい。
 もう一度言う。浮気は相手を鮮明に本質的に傷つける。
 言い換えると、そういう人の「浮気」という言葉で推しは傷つかない。

 前提を一応、同程度のイベントとしよう。接近イベント同士が被るとか、ライブイベント同士が被るとか。
 そんなとき、たとえば先に最推しじゃない方の抽選申込みがあって、それに当選した後に最推しのイベントが発表されたとしよう。
 さあどうする?
 オタクという立場を一旦離れて、一般的に考えてみよう。
 一度交わした売買契約を契約破棄でなく債権放棄して別の売買契約を交わすことを、通常はしないものである。
 普通はあまりにも精神的かつ経済的に負担になるからだ。
 その前提をもって、「後から発表された、既に申し込んでいる別のイベントと被ってしまった最推しのイベント」に行かないことについては、特にどうとも思わないし他人の価値観を前提に否定されるべきものではないと思う。

 だがそれを「どうしても行きたいのに」とまで言いつつ何もしないのは違う。
 たとえ売れなかろうとも既に持っているチケットを仲いいオタクにでも渡してしまえばいい。
 譲渡できないなら「使う義務」などないのだから持ったままほかしてしまえばいい。
 空席ができることに嘆くなら譲渡システムやリセールシステムを用意しない運営やチケットサイトか譲渡先を見つけられない自分を恨めばいい。
 「どうしても行きたいのに」を自分の行動を許すための免罪符で済ませるんじゃあない、それは「どうしても行きたい」ではない。
 最推しのイベントが当選するかわからないからそのままにする、のは前述したとおり一般的だと思う。
 だから、「どうしても」足り得ない。
 既に支出したチケット代で経済的に不可能なら仕方ない、わざわざそのためにお金を貯めてないのが悪いというのは暴論ではあるから、発表時期の遅さに嘆けばいい。
 「自分自身が」二度とそうなりたくなければ、経済的に余裕がないときに他のイベントを申し込まなければいいだけで。
 あまりにも遅い(たとえば1、2週間前など)発表であれば、イベント関連の問い合わせにでもお気持ちを入れたらいい。
 同時に公に気持ちを発信して共感を得ることで民意を育てればいい。
 仕方ないと自分に言い訳するぐらいなら。

 配信の場合も同様で、これは同じ内容の配信で別のところに行くならもはや最推しとかじゃなくない?となるからこの記事で触れるに値しない。
 別の内容なら別にいいんじゃないかなと思う。たとえばゲーム実況が好きじゃなくて、同じコンテンツに出演している、または同じ事務所の別の活動者がカラオケ配信してて、それが好きだから観るとか。
 どんな内容でも全て追いたいという人が全部見たらいいんじゃないかなと思う。
 たった1回アーカイブのあるあらゆるファン対象にした配信を観ない選択をした程度で崩れる信頼なんてないんじゃないかな。
 観られるときに観たいから観るでいい。

 「最推しがいる状態で同時開催の別の現場に行く、もしくは同時配信の別の配信を観る」の結論としては、本当に推しを見られる時間が他の何にも代えがたいなら他のあらゆるものを捨ててでも見ればいいと思うし、事情により不可能またはそこまでではないならそうしなくていい。
 (1)(2)を通して自分が推しを見たいかどうか、また自分が推しからどう見られたいかどうか次第かなと思う。
 推しから見た自分もモチベーションの一つではあると思うので、わざわざそこを否定はしない。(推しに見られたくないという人が一定数いることは理解しているので、それこそ人それぞれで)

 さて、この後の(3)~(6)については言動に対する二次的なアクションであるため、事前予告と事後報告に分けて書いていこうと思う。

(3) 「上記のことを手紙で触れる」

 「上記のことを手紙で触れる」について。
 まず、事前予告について。
 基本的には一切必要ないと思う。
 これは後述する(4)~(6)にも該当することなので最初に言及するが、まず声優・アイドル界隈でよく騒がれる「行けません報告」について触れておきたい。

 「行けません報告」とは、特定のイベントに対して「仕事だから行けません」や「金銭的に厳しくて行けません」などを出演者(特に推し)に対して報告することである。
 極一部の界隈では「行けないイベントなんてない、あるのは行かないイベントだけ」というめちゃくちゃ極端な至言があるが、直近で有給を自由に取得できるところに勤めているか定職でないか、そうでなければ無断欠勤してエクストリーム退職決めて自由の利く職を探すか、金銭的な問題は借りるとかになるので、その界隈基準での話はしないことにする。
 話を戻すが、その件について事前に手紙で話す必要はない。
 前提として、出席義務がないからである。
 自由参加のイベントに対して個人的に呼ばれているわけではないのに「行くことができない」と報告する必要はないからである。
 もちろん、その前提が違えば逆に「報告する必要」が生まれるため、一概には言えない。
 ただ、そうでなければその報告は推しに「あっ、○○さん来ないんだ……」と思わせるだけになってしまうので、わざわざ言う必要がない。
 言う人の中でたまに「推し様がそんなこと思ってくれるほどファンのことを口ほど想ってるわけないだろう」と反論する人がいるが、それであればそれこそ余計に言う必要がない。その感覚でその主張をするなら手紙を受け取って処分しないといけない推しの労力を考えてほしい。

 もう一つ、これが(2)のように「他のイベントに行くから行けない」という報告になると話はガラッと変わる。
 端的に言うと、それは「行けません報告」ではなく「行きません報告」だからだ。
 もっと言うとどんな事情があれど、「あなたは推しているんですが、他の人のイベントを見に行きます」になるからだ。
 言われて嬉しい報告とはまるで異なるからだ。((1)の段階で散々触れているから詳細は割愛する)
 事情があろうとなかろうと、単純に言わない方がいい。
 最推しであることは変わらずに、ただ多少気になっているからとて、少なくとも直接聞かれるまでそれは最推しに口にしない方がいい。
 マック(マクドって言った方がいいですかね)にいるお気に入りの女の子に「スマイルください!」と通い詰めて言い続けてきた人が、その女の子に「最近近くにできたモスの店員さんが気になるタイプの子だからちょっと通ってもいいですか」なんて、わざわざ言うんじゃないという話。
 誠意なんて聞かれたときに示せばいいし、それを本音で指摘できない立場というのは推しも同じだし推しは責任なんて取らない(取る必要がない)んだから、推し以外の現場に行く、配信を観るという選択そのものを気に病む必要はない。
 という、前提の感覚があって初めて失礼に当たるわけで、昨今のいろんな界隈の雰囲気を見ればそういう言及や行動がでてきても仕方がないとは思う。
 そういえば、ある程度の関係がある前提で推しにタメ口で話しているだけで「あいつはタメ口で話す失礼なやつだ、何様のつもりなんだ」と某匿名掲示板に書かれたことがあるのを思い出したが、礼とは何かを懇切丁寧に教えてほしい。他のことについてはだいたい合ってて反省してる。

 というわけで、他の活動者が気になるとか他の活動者のイベントに行くから行けないとかの事前予告については、如何なる理由であろうとも言われた側が悲しいことはあれど嬉しいことなど何一つないから言うべきでないと思う。
 あくまで、特定のイベントに対して絶対に参加すると伝えていた場合とか、推しから直接不特定多数でなく自分だけもしくは自分含む数人に対して参加してほしいと頼まれた場合とかに限って、当日に悲しませないために送ったらいいんじゃないかな。
 事後報告については、言い方や相手に背負わせた期待値の大きさによってしてもいいんじゃないかなと思う、既にわかっていることだし。

(4) 「上記のことを接近イベントや個別通話等の閉ざされた空間で触れる」

 「上記のことを接近イベントや個別通話等の閉ざされた空間で触れる」。
 これについてはほとんど(3)と同じだから大半を省略する。
 大きく違うのは、推しの反応に即効性とリアルさが付与されることである。
 ただし、「行きません報告」に対して返ってくるであろう「なんでww来てよ!」やその後の「いいよ!来れるときにまた来てね」については距離の近いタイプの活動者の一つのテンプレ回答であるため、それ以外の反応やその反応直前の反射的な所作に注目したらいいと思う。
 いずれにしても、前提として事前予告は基本的にはやらない方がいい。
 また、事後報告については推しの悲しい気持ちをその場で吐露させることになるので、どうしてもするなら手紙にした方がいい。
 基本的には聞かれたときにあらたまって話せばいいと思う。

 さて、ここまででなんと9,000字超えています。
 一言一句読んでくださっている方につきましては、駄文でただの書き殴りでしかない読みづらいこの記事をわざわざ読んでくださってありがとうございます。
 もう少しだけ続くので、暇なときにでも目を通してみてください。

(5) 「上記のことをXのリプライで触れる」

 「上記のことをXのリプライで触れる」。
 前提や条件は一切触れません。
 絶対にやめておいた方がいい。
 推し増しや推し変の兆候や他のイベント、配信を理由にイベント等に参加できないことを推しに伝える行為は、前述のとおり散々触れてきたのであえて言うことではないが、それを「誰もが見えるSNS上で表明する」ことは当たり前だがやめた方がいい。
 理由として2つある。

 1つはその不必要な行為を第三者に見られる、もっと大袈裟に言うと全世界に発信するからだ。
 単純にあなたの行為について非難される、場合によってはあなたを見る目が厳しくなることだろう。
 もう1つは推しに対する加害性を孕む行為だからだ。
 前述までの「基本的には他人に見えないところでする行為」に加え、それを他人が見えるところで残る形でする。
 それが推し増しや被りによるものであれば、自分を売りにして仕事をしている推しにとっては惨めたるものだろう。
 やらない方がいい。
 当たり前のことのように書いているが、本当に大昔に筆者もやったことがあるかもしれないぐらい、意識していないとやってしまいかねないことではある。

 最近でこそ「そういうのはよくない」という空気ができていたり、活動者によってはそれについて言及したりすることが少なくない。
 どうしてもしたければ、それを大々的に許可しているところに行ってすればいい。
 ないとは思うが、それが蔓延るようなところであれば、あっても真綿で首を絞められるように気づいたときにその辛さで表舞台から消える気はする。
 リプライ以外で触れる手段がない界隈もあるだろうが、良いことは何もないどころか悪いことしかないので、そういう場合であっても黙秘を貫いた方がいい。

(6) 「上記のことをお便りやスパチャなど配信で触れる」

 「上記のことをお便りやスパチャなど配信で触れる」。
 (5)同様やめて方がいい。
 ところでお気づきかもしれないが、
(3)→反応の即時性はなく、閉鎖的
(4)→反応の即時性はあり、閉鎖的(当社比)
(5)→反応の即時性はなく、開放的
(6)→反応の即時性はあり、開放的
という流れで記述している。
 要するに、この(6)、一番火元になりやすいので本当にやめた方がいい。
 お便りについては「採用されないだろう、手紙と同様のテンションで出すか」と「なんで運営はこれを採用したんだ」という思想が孕むため、まだマシであると言える。
 採用されてしまったら元も子もないが……。
 スパチャに至っては加害性の塊である。もはやテロだ。慈悲はない。
 そういうスパチャを投げるファンが「推しが気にしてくれないから」などと言いがちだが、推しを気にしてたらとてもそんなことはできないだろうと強く言いたい。一貫性や説得力のない主張はまるで響かない。

 推しに必要以上に気を使う必要はないが、「人として最低限は気を使った方がいい」の最低限に位置するところになる。
 ファンの気持ちを引き付けるような売り方が比較的一般的になり、表立って個人に向けてファンサを飛ばす活動者が増えてきた昨今、どんな種類であれ自分に向く気持ちが気になるのは当然ではある。
 しかし、「推しを傷つけてまでしたいことか?」と直接聞いて「そうです」と答える人はいないだろう。
 当たり前体操踊りすぎて筋肉痛になるレベルには、これまでごく当たり前のことしか書いていないが、それを当たり前と認識しづらくなるほどに線引きがあいまいになっているのもまた事実だろう。
 ただ、その前提でこんなことを加害性を持ってされることは、お金を払っていることの対価でも同じ場所に立たないことの罰でもないとは思う。

 あらためて、「上記のことをお便りやスパチャなど配信で触れる」のはやめた方がいい。
 それをネタにして面白く配信している人もいるという主張もあるとは思うが、唇噛みしめて雰囲気を考えて無理矢理面白い方向に持っていっている(もしくはあしらっている)というのが前提だと捉えた方がいい。

3 浮気に対するそれぞれの視点

 さて、上記で浮気と言われる所作それぞれについて言及してきた。
 基本的には「浮気そのものはするべきでない」が、浮気と見受けられる言動がなぜこうも起こるのか。
 浮気と言われる所作をするファン、される推し、そしてそれを観測する他のファンの立場でそれぞれ言及していこうと思う。

(1) 浮気をするファンの立場

 まず、浮気をするファンについて。
 浮気をすることについての話をしてきたが、そもそも彼らは浮気をしたくてしているのだろうか。
 今の最推しよりも他の推しの方が魅力的に見えてしまったのだろうか。
 もちろんそういう人もいるだろうが、そうでないことがほとんどである。
 なぜなら、他の推しの方が本当に魅力的に見えた人は浮気している姿なんて見せずに乗り換えるからだ。
 いないのではない、浮気として観測する間もなく浮気の前提である「最推し」が最推しでなくなっているだけなのだ。

 ではなぜ浮気をするのか。
 大半は最推しに嫉妬してほしいから、気持ちを確かめたいから、もしくは気持ちはあるのに今の供給に対する不満を隠せないからだろう。
 嫉妬してほしいについてはこの記事でいくつか触れているが、要するに気を引きたいのである。
 特に他の特定のファンへのファンサが目立つような界隈や目に見えるファンが急に増えてきた界隈で、自分を個人として大切にされていないと感じるファンが嫉妬や寂しさから浮気、または浮気をほのめかすことが多い。
 逆に、十分すぎるファンサをもらったことがあるファンが、その一時のファンサが最近もらえないことに物足りなさを感じて浮気することもある。
 気持ちを確かめたい、今の供給に対する不満を隠せないに通ずるところもあるが、もっと夢中にさせてほしい、もっと自分を必要だと思っていると感じさせてほしいという気持ちの表れなんだろう。
 要するにファンの浮気とは、ひとつの求愛行動であると言える。
 それが素直なものではないから、俗に言う反動形成の一種と言っても差し支えない。
 本当に「求めるものと違った、合わない」ことが事実であり、それを理解した場合には前述のとおり観測される間もなく離れればいい。

(2) 浮気をされる推しの立場

 では、浮気をされる立場の推しは浮気についてどう思っているだろうか。
 特定個人のファンとのつながりがほとんどない浅く広くで活動している人、特に接近系のイベントやサービスをしていない活動者については特にどうこう思わないだろう。
 それがメインとまでは言わないが類似したサービスのある活動者やそれを売りにしている活動者は、あらゆる浮気をネタに昇華するタイプ以外は前述のとおり快くは思わないだろう。
 少なくともパーソナリティを売りのひとつにしている活動者にとっては、他の活動者にそこで比較されて負けること、自らの集客力のなさを赤の他人でなくファンから事実として突きつけられることが、対人関係にとどまらず仕事としての自分の未熟さや遣る瀬無さを感じる原因にはなるだろう。
 ただ、そういう売り方をしておいて、傍から見てわかってしまう程度に手を抜いているなら浮気されても仕方ないとは思うし、活動者自身にとっては自分の仕事に対する向き合い方を見つめ直すきっかけにもなるだろう。
 そういう売り方をメインにしていない、もしくはほとんど比重を置いていないのであれば、気にせず大事にしてくれるファンを大事にすればいいと思う。
 (語り方にもよるが)俗に言う「ファンに対する教育」をしてもいいとは思うが、相手の理解力や価値観にもよる。まるで理解しないもしくは直らない相手なら、界隈全体に伝えるならまだしも個人に伝えるのは無駄な労力になるだろう。
 いずれにせよ、ネタとして昇華しないのであれば耐えるか何かしらの反応を示すかはしないといけなく、その反応によって今後浮気やその示唆が増えるか減るかするため、ある程度考えておきたい話題ではある。

(3) 浮気するファンやされる推しなどを観測する他のファンの立場

 最後に浮気するファンやされる推しなどを観測する他のファンの立場についてだが、上記を文字どおり客観的に見ることになるので、基本的にはよく思わないだろう。
 彼らがどうすべきかという話をすると、ぶっちゃけ反応しないのが一番丸い。
 よく配信者が「私が注意するから自治はやめてね」と言っているが、正にその話である。
 配信やX上のタイムラインに同じ立場の特定個人を叩く空気ができあがり、「あの界隈ってファン同士の喧騒多いんだ……」と思われるようになって客入り減少の一因になってしまう。
 最悪の場合、外から仕事の声がかかりにくくなる。
 気に食わないから、推しの味方でいたいから、乗じて持論を場に出して似た感覚の人を醸成したいから、理由は様々あれど少なくとも直接的な表現で言及するのは避けた方がいい。
 特定界隈または個人の名前を出さないとか、「~~するのはおかしい」でなく「~~は~~ということになるからしない方がいい」のような言い回しをするとか。
 書き方については、この記事のように極端な例を除いて良し悪しを決めつけるような発言を避ければいい。結論が伝わりづらく冗長になるのがミソだが。
 やってはいけないとまでは思わないが、上記理由で推しが苦言等を呈したときにそれに極端に同調するのも、そういう雰囲気を助長するからしない方がいい。
 自分が他の何かで間違えてしまったときに、自分の態度のせいで保険もきかなくなるし、そういう人ほど自分を客観視できずに自分の非を認められないし後に引けなくなる。
 心持ちとしては「自分も気をつけよ~」程度でいい。
 いくら他人が目に入ろうと、物理的に行動できない事情以外はあくまでもどこまでも「自分と推し」の話である。
 他人の過ちや選択に乗じた行動なんかで推しからの評価は変わらない。逆に、無駄に下げることにもなり兼ねないから触れない方がいいまである。

 ファンは離れる場合を除いて推しの反応を確かめたい、推しは単純にされたくない、それを観測する他のファンは無関係には思いつつもそういう状況に立ち会いたくない。
 結局のところ、一部気持ちは理解できるものの推しに積極的な帰責性がなければ浮気ムーブなんてしない方がいいし、他人は必要以上に具体的に触れない方がいい。
 触れるならここまで一般化しつつ結論をどうでもよくしてしまえばいいと思う。一般化と言いつつファンサービスの話に終始しているが。

4 そもそも浮気とは

 これまで散々「推しに対する浮気」について言及してきたが、そもそも「浮気」とは、一般的にはどういった行動を指すのだろうか。

うわ‐き〔うは‐〕【浮気/上気】
[名・形動](スル)
一つのことに集中できず心が変わりやすいこと。また、そのさま。移り気。「―な性分で何にでも手を出す」
性愛対象として)特定の人に心をひかれやすいこと。また、そのさま。多情。「―な人」
配偶者婚約者などがありながら、別の人と情を通じ、関係をもつこと。「旅先で―する」
心が浮ついて、思慮に欠けること。また、そのさま。
分別―になられ、備へことごとく違たがひ候」〈甲陽軍鑑・二七〉
浮かれて陽気になるさま。また、そうなりやすい気質
「(芝居ナドニ)一切の嫁子―になりて」〈浮・一代女・四〉
――デジタル大辞林より

 上記のように、意味はさまざまである。
 しかし、上記の中で「浮気する」という動詞で使用しているのは、あろうことか3番の意味だけなのだ。
 もっと直接的に言うと、浮気は「配偶者」や「婚約者」という関係性が前提の行動なのだ。
 ここまで真面目に読んできた人や極一部共感を示していた人を突き放すようなことを言うが、ファンや活動者の言う浮気の一切は浮気足り得ない。
 「絶対結婚しようね♡」という言葉を真に受けたファンが「じゃあ俺が他の子のところに行ったら浮気になり得るなww」と思うのは思想の自由なので否定はしない、そのまま楽しい人生を謳歌してもらいたい。
 元も子もないことを言うが夢を見せて楽しませる商業なのだから、他人の見え方など気にせずそれぐらいの感覚でいる方が幸せなのかもしれない。
 表で言うか勝手に思っておくだけに留めるかの違いはあるが。

 長々と「推しに対する浮気」について述べてきたものの土壇場で前提を覆すようなことを書いたが、要するに何が言いたいかというとそもそもこの話題自体が取るに足らないということだ。
 わかりやすい表現がないから「浮気」という言葉が使われているだけで、実態はまるで浮気足り得ない。
 だからこそファン同士で「浮気すんなよ」とか推しがネタで「浮気しないで」とか使ったりする程度に留めるべきで、上記のように一般化して議題に上げるべきではないのだ。
 そもそも誰が誰を推そうと自由だし、単純に推しや他のファンからの見え方が人によってそれぞれ変わるだけだよね、という話に落ち着く。
 ゆえに、自分が「浮気している」とか「浮気していない」なんて、どうでもいいのだ。

 ところでこの記事前半の浮気について言えば、周りや推しから散々浮気といじられた過去があるが、結局その言葉の使われ方はネタでしかないと登場人物全員わかっている上で、「恋愛感情に近い気持ちの対象が移り変わっただけ、その気持ちのまま他の人に浮ついた気持ちを持っていたわけではなく整理した上で、元の最推しは仕事の成果物や生き様が尊敬できる対象、新しい推しは自分に向ける所作含めたあらゆる要素が自分の理想である対象」という形に落ち着いただけである。
 事実としてぼくは「浮気」はしていない。
 当たり前のことを何度も言うが、初めて好きになった人と必ず添い遂げるわけではないし、合わなかったりすれ違ったりしていることに気づきながらも執着するのはお互いのためにならないどころか傷つけ合うだけである。
 一途とはそういうことではない。
 浮気かどうかを問わず、好きの対象が変わるのは当たり前のようにあり得ることだ。気持ちがあるまま、本気だと伝えながら「浮気」するのがよくないだけで。
 それはそうと、仲のいい友人は(してもない)浮気に対してじゃなくて、仕方ないことだと理解しつつも元々本気だったのにそれが変わった事実に対して怒っていたらしい。それはそう。いい友人と出会えたと思う。

 さて、長々と書いてきたが、特に書くこともなくなってきたのでそろそろ筆を置こうと思う。
 前提や視点を二転三転して思うがままに書いたので、読んだ上でどこか一部共感したりどこか一部感化したりと作用したらそれで十分だと思っている。
 この記事ではあえて「推しに対する浮気」を定義、細分化してみたが、先に書いているとおり「浮気」なんてわかりやすいから使っているだけで、再三繰り返すが実態は浮気とは程遠い話である。
 ただ、元の浮気のように推しに期待を持たせたまま、その状態を認識した上でその期待を裏切る行為は少なくとも推しからは気持ちの上では許しがたい行為ではあるだろう。
 すぐ上に書いたとおり、ファンの気持ちが変わることそのものに罪もなければ推しがその気持ちの変化に責任を取る必要もない。
 どちらの立場でも言えるが、「好意が孕む加害性」に十分注意した上で、人としての思い遣りは大事にしたいよねという話である。
 包み隠さず伝えることが相手にとっても誠意だとは限らない。
 誠実とは何か、今一度考えて見つめ直してみるきっかけになればいいなと思う。
 そして、人それぞれの結論がどうあろうと、目に映る世界があとほんの少しだけ優しいものになればいいなと思う。

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