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本日は「優しさ」と「厳しさ」について書こうと思います。

私は数カ月前、私の「厳しさ」で私の目の前から
人が去ってしまったと思っています。

いつも私は自分で言うのもなんですが、
優しい方だと思うので

私が厳しくするというのは
=否定されたと思ったのでしょうか?

本人に聞いてみないと真実はわからないけど

いつものわたしよりは
確かに少し厳しかったかな?と自覚してます。

それはやはり
わかって欲しい、気づいて欲しい、という思いからでした。
私は「教えている」立場でした。

目の前から
去ったことについて、やっぱりわたしは
自己否定をしてしまいました。

人が去っていくということに対して
私の見捨てられる、嫌われるという恐れの
部分が反応しました。
嫌われたのかな?失望されたのかな?

びくびくの自分に一瞬戻るのです。
私はその時
厳しい言葉を言うのは
とても勇気のいることなんだなと思いました。

その人を思うからこそ、厳しさが出たのに。
これが私側の言い分?想いです。

嫌われてもいいから
気づいて欲しい分かって欲しい。
達成してほしい。

親が子供を思う気持ちにも
なんとなく似てますね。

エゴと言われればそれまでですが。

私はやっぱりそこには
愛があると思うんです。
親は
表現の仕方がわからなかっただけで。

私が教育ママのころ
リフティングができない
小2の息子を連れて広場まで行き
練習を強要しました。

私は間違っていたかもしれませんが
わたしはチームで
リフティングができなかった
息子を心配に思っていたのは事実です。

今は傷つけ傷つけられ
失敗を繰り返してきて

厳しい言葉を言う裏側の気持ちを汲み取ったら
すごく有難いなと思えてくる。

その言葉一つをどうとらえるか。

成長の種のような気がしてならない。

どうしてこんなに厳しくしてくれるんだろう。
そんなことに気づくのが

若ければ若いほどお得だと思います!
おばちゃん発言ですが。

若い方たちは「厳しい言葉」の裏側に
想像力を
働かせてほしいですね。

一旦、傷ついてもよいんですよ。

傷ついた時、私はお話を聴く活動をしていますよ。

私なんてね
素直に受け取るように見せつつ
傷ついて、よくも私を傷つけたわね!と
拗ねている人間でしたから。
心は閉店ガラガラしてたんです。

性格ドブスだったんです。

いつからでも素直になれます。

歳は関係ありません。

少し受けとる器を広げたら
関係性が深まる気がしますね。

確かに、過去に
厳しく叱責されたりの記憶があると
厳しさだけで
無理となるかもしれません。
私も経験済みで
パニック起こすくらいでしたから
よくわかります。

なぜいやだったか、
傷ついた
自分と和解しましょう。

そんな時も私は傾聴で
お手伝いを行ってますし
和解するセッションも行っています。

目の前の人と
過去の人は違う人です。

表現だけで
全て結びつけてしまうのは事実でしょうか。

優しさと厳しさも
受け取り方で
紙一重だったんですね。

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