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曽野綾子『うつを見つめる言葉』不幸と幸福を考えるとき

変わらない原則があるとすれば、それは永遠のかなたにある理想の部分である。
耐えられる人間になること、
充分に言葉の通じる人間になること、
すべてにおいて自らを律する人間になること、
他人の幸福と不幸を自分のことのように思えること、
などだ。(『至福の境地』)

耐えることができるようなことにおいては

まずは耐えてみる。


耐えることではないと判断した時には

どうにか状況を変えるように働きかける。


まずは理解者を増やすために

困っている状況を多くの人に説明する。


そして味方を増やしてから

問題の解決に取り組んでいくことが重要となる。


一人の意見では取り上げられないことでも

多くの人の意見となると

なんとかしなければならないという気持ちとなるからだ。


そして同じようなことで悩むことがないように

環境を変えていくことや

人の認識を変えていくことができる。


貢献できるからこそ行動することができる勇気が出るのだ。

辛い目に会いそうになったら、まず風を避ける。
縮こまり、逃げまどい、顔を伏せ、聞こえないふりや眠ったふりをし、言葉を濁す。

このように卑怯に逃げまくる姿勢と、
正面切って問題にぶつかる勇気と、
両方がないと人生は自然に生きられない、
と私は思うようになったのである。(『悲しくて明るい場所』)

卑怯に逃げまくる姿勢というのは

おそらく個人的なことで

放っておいてもいいと判断するようなこと。


人の記憶力というものは

案外長くはもたないもので

自分が考えているよりも

人はすぐに他の話題に注目する。


執拗に覚えているのは

自分だけだったりする。

・・・

けれども逃げるわけにはいかないこともあるのだ。

その際には正面切って立ち向かうことが必要となる。


その判断を間違えないようにすること。

ここぞという時には

全力で望まなければならない時があるのだ。


そんな時にはなぜか

信じられないほど頭の回転が速くなる。


生命の危機を感じた時には

思考力の枠が外されるのだ。

それは

火事場の馬鹿力のようなもの。

誰でもそうなる。

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