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曽野綾子『寂しさの極みの地』

悪いこともいいこともしないっていうのはいけませんよね。
どちらかというと、
いいことも悪いこともした方がすばらしい生き方ですもの。

物事には様々な見方があるので

一つのことにおいても

必ずいい面とそうでない面がある。


そう考えると

いいことだけをして生きていくことなど出来ないのだ。


逆に言うと

悪いことだけして生きていくことも

できなくなるということになる。


自然と

いいことも悪いこともしているのだろうと思うだけで

謙虚に生きることができるように思う。

私くらいの年になると、他人なら、嫌な人でも平気になって来るのよ。
面白い人に会えてよかったと思えるのよ。

客観的に物事を見ることができるようになると

嫌な人をしげしげと観察することもできるようになるのだろう。


または

いい加減に思うことでも

嫌なことも

面白がることができるように思う。


つまりどちらにせよ

人生にはある程度の余裕が必要だということだ。

利己主義ってあまり責めちゃいけないよ。人を責めていると、自分が立ち行かなくなるからね。

利己主義な部分が

自分の中に一切ありませんと

断言できること自体が

利己主義である。


震えるほどの恐ろしい利己主義である。

「僕はこのごろ年だと思うのは、どんな運命も愛せるようになったことだな。
悪く言えばどうなってもひとごとなのよ。

よくなっても僕の力じゃない。
悪くなっても僕のせいだけでもない。

辛いこともあるけど、辛いのも一つの運命だから」

人生の中に余裕があれば


その人生がどう転んでも

生きていけると思うことができるならば


辛いことからも逃げることができるならば


ただ生きていること自体に価値があると思うのなら


生きることは

大変だけど

それでも

一緒に

生きていきたいのです。

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